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NO.242 第9章 近代日本とアジア(1)

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

9-5] 大衆文化の登場(5)
演劇エピソード
新劇
@ [1    ]建設(1924年)−知識階層の歓迎
a.A「2    」44才・土方与志ら
b.Eプロレタリア演劇運動の拠点
A 「3    」座(門下C「4    」と新劇運動を推進)
[5    ](芸術座を脱退したE沢田正二郎らが大衆演劇をめざして結成)
大衆を相手に大規模な興業
@ 歌舞伎−E尾上菊五郎、E中村吉右衛門
A *A[6    ]
大衆演劇−E宝塚少女歌劇、E浅草オペラ、E浅草六区
絵画
経過
1887年 [7    ]学校(岡倉天心。絵画・彫刻・美術工芸部門)→東京芸大
1889年 [8    ]会(浅井忠)
@日本最初の洋画団体。黒田清輝・久米桂一郎ら
A門下−岡田三郎助・和田英作
1896年 [9    ]
@母体−明治美術会を脱退した黒田・久米ら
A明治美術会の官僚的組織に対して自由主義を主張
1898年 [10    ]院(院展。在野。東京美術学校を辞職した天心・雅邦らが結成)
1900年 [11    ]
@母体−明治美術会。白馬会に対抗
A満谷国四郎、鹿子木孟郎、新海竹太郎
1906年 日本美術院の天心・大観・観山・春草ら、茨城五浦に退き、研究に没頭
1907年 [12    ](文部省美術展覧会。官制により開催)
1912年 [13    ]
@母体−文展系の洋画にあきたらない青年画家の集団
A高村光太郎・岸田劉生・万鉄五郎
1913年 フュ−ザン会解散。天心、没
1914年 日本美術院再興(近代絵画としての新様式開拓)
@大観・観山・安田靫彦
A大正・昭和−速水御舟・小林古径・前田青邨・平櫛田中・石井鶴三
[14    ]会(母体−文展の一部)→現在へ
@文展日本画部は新旧の作風で第一科・第二科に分けて審査
A洋画の新傾向画家も、二科制をとるよに文部省に建議→拒否
B文展脱退の洋画の石井柏亭・梅原龍三郎・坂本繁二郎・安井曾太郎
1915年 [15   ]社(フュウザン会系。岸田劉生)
1918年 [16   ]協会(土田麦僊・村上華岳・小野竹喬・梅原龍三郎)→国画会
1919年 文展廃止→帝国芸術院(文部省の諮問機関。帝展)
1922年 [17    ]会(二科会の梅原と草土社の岸田)→現在へ
官立
@ 日本画
 E川合玉堂、E富岡鉄斎E『白隠訪白幽子』、
 川端門下E鏑木清方,E『築地明石町』、E橋本関雪、E松岡英丘、
 E平福百穂E『アイヌ』、E川端龍子、E速水御舟、川端玉章
A 西洋画−A黒田清輝、C藤島武二
在野系
@ [18    ]
 A横山大観B『生々流転』E『無我』、B下村観山E『大原御幸』
 E『木の間の秋』、C安田靭彦E『黄瀬川の陣』E『風神雷神』、D小林古径、E前田青邨
A 国画創作協会
 D竹内栖鳳E『あれ夕立に』E『鯖』E『斑猫』、
 D土田麦僊、E『大原女』、E村上華岳
B フュ−ザン会−C高村光太郎、B岸田劉生E『麗子像』E『麗子五歳の像』
C 二科会
 D石井柏亭E『女車掌』、B梅原龍三郎D『紫禁城』、E有島生馬、
 B安井曽太郎E『金蓉』E『座像』、石井新太郎、E小出楢重
D 春陽会−B岸田劉生、B梅原龍三郎、E坂本繁二郎
E その他−E竹久夢二E黒船屋。E小川芋銭(うせん)E河童
F [19   ]派(キュ−ビズム。野獣派の色彩主義に対し形態・構成重視)−東郷青児
G [20   ]派(調和・統一・伝統を無視して躍動的感覚を目指す)
音楽
C山田耕筰日本交響楽協会、近衛秀麿新交響楽団、D三浦環のEお蝶夫人
E中山晋平。E宮城道雄。E吉田晴風とE新日本音楽
解答

正解数(   )問/問題数(20)問=正解率(    )%

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