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エピソード

002_01

先土器文化(岩宿発見物語)
 相沢忠洋さんは行商をしてあちこち旅をしていました。大雨の翌日切通しを通っていると、昨日見なかった長菱形の石が土の中から顔を出していました。引き抜くと、人間が作った石器のようでした。そこは岩宿という所で、土質は関東ローム層で出来ていました。
 東京大学に持って行きました。教授連は石器である鑑定しました。しかし、場所を聞いてからは、相沢青年の話をまともに取り上げませんでした。当時の考古学の常識では「火山灰が降り注ぐ洪積世の時代には食べ物も育たない。だから人間も生きられない」と考えられていました。ですから、火山灰で出来た関東ローム層には人間がいるはずがなく、その地層に到達すると発掘を打ち切っていました。
 自然に露出した感触をもつ相沢青年は引き下がれず、明治大学考古学研究室を行きました。関東ローム層から出たということで、最初は信用されませんでしたが、相沢さんの必死の訴えで、若き研究者が現地へ赴きました。専門の学者が旧石器時代前期の打製石器と確定しました。
 相沢青年が行った致命的なミスは検証することもなく、簡単に石器を土層から抜いていしまったことです。 
完新層   腐食(黒色)土   旧石器
後期
褐色・黒褐色土
更新世
(関東ロ
ーム層)
立川ローム層 1万年前 地表より10m以内 古富士火山火山灰(岩宿遺跡
武蔵野ローム層 3万年前 地表より20m以内 古富士火山以前の火山灰
下末吉ローム層 8万年前 地表より30m以内 箱根火山の火山灰 旧石器
中期
多摩ローム層 20万年前 地表より40m以内 箱根火山以前の火山灰 旧石器
前期
権威や権力に対抗するには地道な努力と科学的な物証が必要
 当時学会の定説は官立大学の教授たちが認めたことが定説で、私大の発表は定説にならないという二重に不利な状況が、明治大学の若い研究者にはありました。それを跳ね返すには地道な努力と実証以外ありません。彼らの頑張りの結果、全国的にも洪積世の地層からも多くの石器発見されました。

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