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エピソード

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縄文文化の発展(採集、漁撈、狩猟)
 縄文時代人の食生活は採集と狩猟と漁撈でした。
 採集かしの実くるみ山芋でした。栗などを石皿に入れ、打製の石斧で粉にし、パン状にしました。
 漁撈は魚で、今でもカナダでは産卵期の鮭を熊が手のひらでたたいて取るといいます。私も学生時代北陸を旅していたとき、古老が「子供のときは川でを手で取ったものだ」と話していたのを記憶しています。季節によって縄文時代人は移動する必要があったのです。があることは、大型魚をとっていたことがわかります。釣針があることは、魚釣りをしていた証拠です。土錘石錘の「錘」はオモリなので、網漁をしていたと思われます。
 狩猟とは弓矢でイノシシシカをとることです。イノシシやシカの身になって考えると、自分の親や兄弟が周りにいなくなった。これは大変だ、この山には住めない。安全な場所に移動しようということになります。彼らに必要な食物を求めて次の山へと移動する。縄文時代人も獲物を追って移動する。採集や漁撈や狩猟をし、家族で生活するために適した場所は台地ということになる。
採集(山・畑) 採集(海浜) 狩猟 漁撈
ワラビ・ウド 海藻・アサリ・ハマグリ    
ヤマブドウ     マグロ・アユ・カツオ
ドングリ・クリ・シイ・クルミ・トチ     サケ
    イノシシ・シカ・カモ  
 最近、縄文時代はそれほど惨めではなかったという説が増えてきました。
 私も、時間を気にせず、自由に、自然を相手に、のんびりする生活にあこがれます。ロマンです。そのロマンを縄文時代にあてはめたりもしていました。しかし、採集・漁撈・狩猟生活は、春夏秋冬で大きく左右される不安定なものだということがわかります。
映画『老人と海』、獲物のいない土地では私的所有権は意味がない
 私は、白黒映画の『老人と海』(The Old Man and the Sea)を見ました。原作はアーネスト・ヘミングウェイ、監督はジョン・スタージェス、主演はスペンサー・トレイシーです。1958年の作品ですから、日本の年号で言うと、昭和33年の作品ということになります。
 タイトルのように老人は、終生追い続けてきた巨大なカジキマグロに、85日目にしてやっと出合い、銛を打ち込みます。カジキマグロが逃げると、老人はロープを緩めます。カジキマグロが弱ると、老人はロープを手繰り寄せます。カジキマグロは手繰り寄せられては大変とまた逃げます。老人は、巨大なカジキマグロを相手にロープを緩めては手繰り寄せと、海の上で3日間格闘をします。やっと、港に着いたときには、カジキマグロはサメにすっかり食われるという物語です。老人は、ライオンの夢を見ていました(The old man was dreaming about the lions)で原作は終わります。
 私は、結果は惨めだったが、人間には経過が大切だと語りかける映画でした。それよりも、の使い方がリアルで、授業では、いつもこの映画を紹介していました。
 「この山は私の山である」といくら私的所有権を主張しても、獲物のいない山は無価値である。縄文時代には私的所有権は意味がないことであったのである。

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