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エピソード

004_03

縄文時代の精神生活U(土葬を体験して)
 土葬を体験したと言っても私が土葬になったと言うことではありません。悲しくもはかない物語です。当時私は新設の高校で、剣道部・ソフト部の顧問をしていました。夏休み中文芸部の顧問の先生が帰省するというので、部員から依頼されて私が臨時の顧問になりました。
 その中に入退院を繰り返し、留年を続けている女学生がいました。話をすると、弱弱しい印象です。私は「ひょっとして堀辰雄の『風立ちぬ』や『野菊の墓』なんかを愛読し、こんな病弱な私を産んだと両親を責めているんでは?」と言うと、「なんで分かるんですか?」と答える。私は「人間はいつかは死ぬ。美しく死のうと考える生き方でなく、その時その時を一生懸命生きようとする生き方が大切なんだよ。そうすると自分を産んでくれた両親にも感謝できる」といって、林芙美子の『放浪記』などを読んだり、チャップリンの『ライムライト』を観るよう勧めました。
 その後しばらく元気な姿を見せていましたが、秋ごろ「亡くなった」という悲しい知らせが入りました。葬儀に行くと、風呂桶のような丸い棺おけに、足を曲げて正座しておりました。皆と別れを惜しんだ後、蓋が閉められ、木の釘で塞がれました。この時の釘を打つ音が今も耳に残り、悲しみが甦り涙が流れます。美しく死のうと言う気持ちを大切にしてあげたかったと悔やみました。
 その後棺おけは畑に埋められました。これを埋め墓といいます。盆や正月に参る墓には卒塔婆が立てられました。これを参り墓といいます。このように埋め墓と参り墓がある制度のことを専門的には両墓制といいます。今から約40年前の話です。
生きている、そのことが美しく尊い
 病弱な女学生の弟がこの年、卒業しました(姉が留年を重ねるうちに、弟の方が先輩になっていたのです)。この時、担任でもなく、ただの臨時の顧問だっただけの私の所へ母親がやってきました。「あんなに輝いた娘を見たことがなかった。私たちの思い出は元気を取り戻した娘の姿です」と言われた時、両墓制の彼女でなく、天国で『放浪記』を読んでいる彼女を思い出しました。

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