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エピソード

007_03

人間の歴史と戦争の歴史
 ここでは、人間の本能と戦争を考えてみました。
 私が小学校1年生の時、母が虫垂炎で入院しました。当時も、虫垂炎は病気とされず、1週間すれば、元気で退院出来ると思っていました。また、そういうものでした。
 しかし、母は、切った後が癒着する特殊な体質で、私が大学を卒業するまで、大学病院で2度も腹を全開する大手術を行いました。その結果、病院と家との二重生活を送ることになりました。
 私は、病魔と闘う母と苦しめないように、どんな嫌なことやつらいことがあっても、母に気取られないよう我慢しました。他人の迷惑をかけて、母に心配をさせないように、子どもながら、必死に努めました。
 そんな「優しい」私でしたが、冷静に振り返ってみると、かなりケンカもしています。 
 小学校時代には、母の薬をもらいに、他の地区を通って病院へ行きます。どの地区でもガキ大将がいて、通せんぼをします。あまりしつこかったので、次の日、ガキ大将を学校の裏庭に呼び出し、口ゲンカしています。
 中学校時代にも、水泳場をめぐって川争いをしています。
 高校時代にも、一緒に下校する友人(A)が、その友人(B)に告げ口をして、Bが何かと私にチョッカイを出したので、1対1の殴り合いのケンカをしたことがあります。
 当然、母には知られていないし、学校の先生も知りません。
 以上は、私の言い分を書きましたが、多分、相手には相手の言い分があると思います。人間は、自分と違う立場の人間とは相争う本能があるようです。
 最近、息子が家を建てたいというので、土地の物色を依頼されました。裕福な家で手広く商売をしており、私の義兄の友人でもある不動産屋さんなら信頼が出来ると信じて、土地の購入の意志を話しました。
 供託物件で、落札価格+手数料=販売価格という話で、落札価格を確実に伝えるということでした。しかし、途中で落札価格が別な業者から分り、不当な販売価格だったので、その話を断念しました。
 激怒した不動産屋さんは、普段の穏やかさが消え、「裁判に訴えるが、それでも買わないのだな」と脅迫しました。
 私は、脅迫されて買う位なら、裁判費用に全額投入して、その全貌を明白にしようと、腹をくくりました。
 しばらくすると、裁判所から呼び出し状がきました。弁護士が10人ほど名を連ねていました。TVで活躍している茶髪の弁護士の顔が一瞬、私の脳裏を横切りました。勿論彼の名はありませんが…。 
 不動産屋さんは一気に裁判に持ち込まず、調停委員会にかけました。私は2人の調停委員の前で、上に書いたような経過と裁判になっても、その全貌を明らかにするだけですと主張しました。
 その後、調停委員は、不動産屋さんに相談しました。そして、「再度、調停委員会にかけるが、決裂すると裁判に持ち込む」という相手の主張を聞かされました。
 二度めの調停委員会で、不動産屋さんは「いくらでもいいから、出して欲しい」という提案をしてきました。私は「一文も払う気はありません。裁判で全ての経過を主張するだけです」と答えました。
 私の結論を持って、調停委員は不動産屋さんに伝えました。その結果、調停は決裂しました。調停委員から「これで私たちの任務は終了しました。後は、相手が訴えると裁判になります」と言われました。
 しかし、結局、裁判になりませんでした。社会科の教師としては、裁判で被告の経験をしませんでしたが、調停委員会に召喚されるという貴重な体験をしました。
 この経験を詳細に知りたいという人もたくさんいます。しかし、この問題は一件落着していますので、詳細を公表するつもりはありません。状況が今と違ってくれば、そういうこともあるかも知れませんが、念のため申し添えておきます。
 企業経営をする不動産屋さんの論理と裕福で義兄の友人という一個人の論理との違いを、身をもって体験しました。裕福な人は「嘘を言わない」、知人なら「信頼できる」ということが、私有財産を膨大に所有・管理している人には通用しなかったのです。
 私は、友人の家族を騙してでも、金儲け(私有財産の獲得)をしようとする人を直接知りました。この心理が、国家規模になると、戦争になるのだということも知りました。
 現実に、戦争の武器を製造して儲ける企業、戦争の武器を売って儲ける企業が存在します。彼らにとって、口では平和と唱えながら、戦争を食い物にしているのです。政治家にしても、彼らと結託し、口では平和主義を提唱しながら、現実には平和憲法の改正を主張しているのです。
いつ戦争がおこり、どうして戦争がおこるのでしょうか?
 私は、体験的には、「人間には闘争本能がある。しかし、それだけでは戦争にはなりません。闘争本能が私有財産の維持・拡大と結合した時に、戦争は始まる」と考えています。
 その時期は、私有財産が発生した弥生時代です。
 縄文時代は狩猟採集時代ですから、魚や動物は腐り、蓄積する物はありません。移動する動物を追っかける生活ですから、「この山はワシのだ、この土地はオレのだ」と言っても意味がありません。ですから、奪うべき物(財産)はないのです。
 しかし、弥生時代は、米を蓄積できます。米は移動しないので、「山や土地」が意味を持ってきます。ここに奪うべき物(財産)が生まれました。
 しかし、財産が誕生しても直ぐに、戦争になるでしょうか。色々調べました。
 佐原眞氏は、次のことを紹介しています。
(1)食人の習慣には、族内食人と族外食人があります。
(2)族内食人とは、「身内や同じ集団に属する人びとの遺体を、愛情・尊敬の念をもって食べること」です。族外食人とは、「他の集団の人びとを殺して憎しみあざけりながら食べること」です。
(3)ひとつの部族でこの両方をする習慣はありません。
 古代ローマの大プリニウスは、『博物誌』で、「人類以外には、同種同士が殺しあう動物はいない」と書いています。
 人間には、闘争本能だけでなく、食人の習慣があったのです。族外食人の習慣を持つ人が、「他の集団の人びとを殺して憎しみあざけりながら食べる」と同時に彼らの財産を奪います。
 やがて生産力が向上すると、他の集団の人々を殺さず、生かして、働かせて、生産物を収奪する方法へと変換していきました。奴隷の誕生です。
 考古学者で、『人類の起源』の著者であるリチャード・リーキーは、「戦争は、人類の始源にさかのぼらず、農耕社会以降に始まる」と書いています。以下の図がそのことを証明しています。
下記の表の判例(食料採集段階、農耕社会の成立、王権の成立、最古の環濠集落、最古の防壁集落)
『朝日百科ー日本の歴史』(朝日新聞社)より作図
9000 8000 7000 6000 5000 4000 3500 3000 2500 2000 1500 1000 500 紀元前後
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