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エピソード

009_01

大和政権の成立(五胡十六国、南北朝時代、大和朝廷、前方後円墳)
 大和政権が誕生する背景として、中国の情勢を考えてみました。
遼東   後趙 前秦 前秦 後燕 後燕 北燕 北魏 北朝 鮮卑


匈奴
てい
漢人
山東
河北
前趙 後趙 南燕 北魏 西魏 北周
山西 西燕
前秦 後秦
陝西 西秦
甘粛 成漢 後涼 南涼 西秦 東魏 北斉
北涼 北涼
四川 成漢 成漢 東晋 西涼
(斉→梁→陳) 南朝
 上の表を整理します。
 304年、五胡(鮮卑・羌・羯・匈奴・てい)が各地に十六国を作りました。これを五胡十六国の時代といいます。
 316年、晋は、匈奴の前趙に滅ぼされました。
 317年、晋の王族の司馬睿は、江南にのがれて、晋を再建しました。これを東晋といいます。
 420年、東晋の武将である劉祐が、を建国しました。劉祐が宋の武帝です。これを南朝といいます。
 439年、鮮卑の拓跋珪が五胡の諸国を滅ぼして、北魏を建国しました。これを北朝といいます。隋によって統一されるまでの時代(〜589年)を南北朝時代といいます。
 中国の内乱によるエネルギーは、周辺諸国に向かわず、国内で消費されました。その結果、東アジアの諸国には、独立・国家形成の気運が盛り上がりました。
 朝鮮半島の情勢を見ます。
 313年、中国北東部の高句麗は、楽浪郡・帯方郡を攻略しました。
 346年、朝鮮南西部の韓族である馬韓は、百済54カ国を統一しました。
 356年、朝鮮南東部の韓族である辰韓は、新羅12カ国を統一しました。
 邪馬台国が、畿内ならば、日本の統一は3世紀ということになります。邪馬台国が、北九州ならば、日本の統一は4世紀ということになります。
 統一したのは、畿内の大和朝廷です。天皇を首長とする皇室を中心に、臣姓を持つ平群氏・g城氏・蘇我氏と連姓を持つ大伴氏・物部氏で構成されていました。
 支配下に入ったものには、前方後円墳や同范鏡を与えて、権力を拡大していきました。
木製の道具で荒地の開墾は大変、湿田耕作に適した大和地方
 私が教師になった時の話しです。新設高校なので、ソフト部の顧問になっても、グランド整備が主な日課でした。午後になると、荒れた土地の大きな石の周りを、鍬で細い線を引いておきます。そこへ水道のホースを借りて、かすかに水を流しておきます。放課後になると大きな石の周辺はやわらかくなっており、女子でも掘り起こせる状態になっています。
 木製の道具で荒地を開墾することはとても大変です。当然それほど労力を必要としない土地(湿田)が初期の水田となります。私の住んでいる地方でも、弥生の遺構がある場所(当時の先進地)は今は想像も出来ないほどの山間部です。山と山に囲まれ、細い溝が多数走っています。湿田地帯であったのです。
 大和地方も上空から見ると、網の目のように小さい川が張り巡らしています。太陽と水を必須条件とする西日本で、広大な湿田を持っているのは大和地方しかありません。西日本で広大な湿田をもつ大和地方が、それ以下の湿田をもつ地方を支配していきました。

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