print home

エピソード

011_01

朝鮮半島への進出(高句麗好太王碑)
 日本の朝鮮半島への進出は、どんな意味があるのでしょうか。先ず、日本が統一されたことを照明しています。国威を発揚するためと、高句麗の南下に対抗して、鉄資源を確保する必要がありました。
 372年、百済の肖古王が倭王に七枝刀を献上しました(「泰和四年、造百練銕七支刀…百済□世□、寄生聖音、故為倭王旨造、伝不□世」)。この奇妙な刀(1本幹と6本の枝からなる刀)が石上神宮にあります。
 391年、日本軍は百済・新羅を破って、天皇の家来にしました(「百残・新羅は旧是れ属民にして、由来朝貢す。而るに、倭、辛卯の年より来たり、海を渡りて、百残・□□・新羅を破り、以て臣民と為す」)。
 396年、高句麗王は自ら水軍を率いて、残りの国を討伐し、18の城を攻取しました(「丙申を以って、王躬ら水軍を率いて残国を討科し、(中略)壱八の城を攻め取る」)。
 399年、百済は、高句麗王との誓約に違反して、再び日本と通じました。そこで、王が平壌を南下すると、新羅は使者を派遣して、「日本軍は、国境に満ち、城や池を壊し、新羅の国民を日本の天皇の家来にしてしまいます。どうかお助け下さい」と言って来ました(「己亥、百残、誓いに違ひ、倭と和通す。王平穰巡下す。而るに新羅、使いを遣はして、王に日ひて云、『倭人、其の国境に満ち、城池を潰破し、奴客を以て民と為せり。王に帰して命を請はん』と」)。
 400年、高句麗王は、5万の騎馬隊・歩兵隊を派遣して、新羅を救援しました。高句麗軍は、男居城より新羅城に進軍しました。日本軍は新羅城に一杯いましたが、高句麗軍が近づくと、退却しました(「庚子、歩騎五万を遣はして、往きて新羅を救わしむ。男居城従り新羅城に至る。倭、其の中に満てり。官兵方に至り、倭賊退く」)。
 404年、日本軍は、一気に帯方郡に侵入しました。日本軍は、高句麗軍に破れ、切り殺された者は無数でした(「甲辰、□倭不軌にして帯方界に侵入す。…倭寇潰敗し、斬殺無数なり」)
 414年、百済の長寿王は、好太王碑を丸都城に建立しました。今も鴨緑江中流の北岸にあります。この碑に日本と高句麗との交戦の状態が記録されています。
 391年の原文は、「百残新羅旧是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」です。日韓歴史共同研究報告書によると、この問題を取り扱っています。
(1)日本側の解釈は「辛卯年(391年)に、倭が海を渡ってやってきて、百済・□□・新羅を破って、倭の臣民にしてしまった」となります。
 「百済と新羅は、もとは属民であったので、高句麗に朝貢してきていた」までは、日韓で共通理解しています。
(2)韓国の学者は、「倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅」を「倭が辛卯年に侵入してきたために、わが高句麗は海を越えて彼らを撃破した」と解釈しています。
(3)同じく韓国の学者は、「為臣民」についても、主語が書いてない行動 (「破」る、(臣民)と「為」す)は高句麗好太王のものとらえ、「百済・新羅を、高句麗は臣民とした」と解釈し、「属民を臣民にした」と主張しました。
 共同研究とは別に、次のような解釈もあります。
(4)「百済と新羅は、高句麗の属民で、以前から、朝貢していました。そこへ、391年、日本軍がやって来て、百済と新羅を支配したので、朝貢しなくなりました。395年、好太王は、海を渡って、日本軍の支配下の百済と新羅を破り、高句麗の臣民としました」。 
 私の考えを述べます。
(1)についてのみの史料では、そう解釈できるかもしれませんが、399年の史料は、「百残、誓いに違ひ、倭と和通す」とあります。日本が、百済の国民を臣民にしておれば、「再度日本と通じた」ということになり、この史料は不自然です。
 これが、従来の送りかなでした。「百残・新羅は旧是れ属民にして、由来朝貢す。而るに、倭、辛卯の年よりこのかた、海を渡りて、百残・□□・新羅を破り、以て臣民と為す」
 これからは、次のような送りかなの方がいいのではないでしょうか。「百残・新羅は旧是れ属民にして、由来朝貢す。而るに、倭、辛卯の年より来たり、(高句麗)海を渡りて、百残・□□・新羅を破り、以て臣民と為す」
 以上のような提案をしたからといって、日本が朝鮮に渡海して高句麗と戦った事実は、変わりません。
歴史は情報操作の宝庫である、両方の意見を聞こう!
 私はここで情報操作ということを学びました。そして歴史は情報操作の歴史でもあることを知りました。私は左右という主観的な基準でなく、東西という客観的な基準で情報を確認することが大切だということも学びました。両方の意見を聞くという簡単な方法を、案外怠っている事を自戒しました。
 4世紀後半から5世紀初期の朝鮮半島への進出について、ほとんどの小説や概説書には日本の活躍が描かれています。「日本が百済や新羅を破り、朝鮮人を日本の臣民にした」とか「日本が帯方郡に侵入した」とか勇ましいものばかりです。
 ところが史料をよく読めば、「倭寇(日本の悪いやつら)は全滅し、切り殺された者は無数である」と書いてありました。それもそのはずです。高句麗王の記念碑に高句麗王の自慢話が出てくるのは当たり前で、日本の活躍のみを書くはずもありません。
 小説や概説書がウソを書いているわけではありません。自分にとって都合のよい史料は採用し、不都合な史料は抹殺すると言う方法を採っているのです。
 今年(2005年)は「終戦60年」ということもあって、マスメディアは競って、日中韓の問題を多角的に取り上げています。明治・大正時代の帝国主義的侵略は、アメリカ・イギリス・ロシアが承認しているという事実があります。しかし、満州事変以後は、日本は世界連盟を脱退し、孤立して、侵略しています。
 この差を認識しないまま、「自衛のための戦争であった」とか、「アメリカのワナにはめられた」とか、国内で受けても、世界に通用しない主張をする人が増えてきました。こういう傾向をナショナリズムといいます。
 人間は神ではありません。神でないということは、失敗をするということです。失敗を、謝り、反省することで、その人間は信頼され、成長するのです。
 国家・会社も人間の作ったものですから、失敗をします。柳田邦男さんは、「”人は過ちを犯す”ことを前提に社会システムの再構築」を提案しています。
 人間や国家の無謬性を信じる人は、自分や国家の失敗を反省せず、そのことが他人や他国から不信感をかっています。

index