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エピソード

014_01

民族宗教の発展(海の正倉院沖ノ島、氏神、禊・祓、農耕儀礼)
 仏教や儒教が来る以前の日本の宗教を民族宗教といいます。民族宗教を考える上で貴重な宝庫が、海の正倉院といわれる沖ノ島の出土品です。
 沖ノ島の祭祀形態は4段階の分かれます。
 祭祀の第一段階(4世紀後半〜5世紀中頃)は、神々が降臨する「岩座」という巨岩の上に、石で区画した祭壇を設け、鏡・勾玉・刀・剣などを奉献しました。
 第二段階(5世紀後半一6世紀)は、巨岩の下の岩陰に、石で区画した祭壇を設け、鏡・馬具類・須恵器などを奉献しました。
 第三段階(7−8世紀)は、半岩陰半露天に、石で区画した祭壇を設け、土器類・紡織具・武器などを奉献品しています。この段階では、巨岩との関係は希薄になっています。
 第四段階(8〜9世紀)は、露天に、石で区画した祭壇を設け、土器類・奈良三彩壷・貨幣が奉献されています。この段階では、巨岩との関係は全く見られません。
 沖ノ島の例でも、私の住んでいる相生市矢野町の磐座(いわくら)神社でも、ご神体は大きな岩です。祭りの時にのみ神が降臨すると考えられていたので、神殿(神社)は必要なかったのです。
 大神神社はご神体が三輪山そのものであり、長野県と岐阜県の境の神坂峠は峠の神とも言われ、坂そのものがご神体になっています。
 信仰心が薄れると、目印が欲しいということで、祭りの時の臨時の施設が恒常化されて神殿(神社)になりました。そして、大きな岩からや剣・玉などがご神体に変化していきました。
 ごうして出来た神社建築には、春日大社系の春日造、高床倉庫系の伊勢神宮の神明造、宮殿系の出雲大社の大社造、大嘗宮正殿系の住吉造などがあります。
 自然祭祀は、やがて神社の形になっていきます。やがて、大和政権が統一される過程で、各地の神社は朝廷の神話の中に位置づけられ、特定の性格や由緒をもつようになっていきます。
(1)伊勢神宮の内宮は、皇室の祖先神である天照大神を祭神として、外宮は豊受大神を祭神としています。
(2)藤原氏の氏神として設立された春日大社・鹿島神社は、武甕槌命を祭神としています。
(3)出雲大社は、大国主を祭神にしています。
(4)住吉神社は、海神(表筒男・中筒男・底筒男)と神功皇后を祭神にしています。
(5)その他は、自然神、氏の祖先神である氏神、生れた土地の守護神である産土神などがあります。
 イザナギの神は、妻のイザナミ神を追って黄泉の国に行きましたが、その形相の醜さに、この世に逃げ帰りました。そして、川でみそぎをした時に、左目を洗うと天照大神、右目を洗うと月読尊、鼻を洗うと須左之男命が生まれました。
 イザナミの神が火之迦具土神を産む時、女陰を焼かれ病床に伏しました。この時、イザナミの神の尿から誕生したのが和久産巣日神で、その子が豊受大神です。女陰や尿などとざっくばらんな表現にびっくりします。
 雄略天皇の夢の中に天照大神が現れて、「食事を食べられないので、食物の神である豊受大神を伊勢に迎えて欲しい」というお告げがありました。そこで、雄略天皇は、丹波の国から豊受大神を勧請しました。これが外宮の始まりといわれています。神である天照大神が、食事不振なんて面白い発想です。
 須左之男命の六世の孫が大国主命です。大国主は別名をたくさん持っています。大穴牟遅神・大物主神などが代表です。
 イザナミの神は、火之迦具土神を産んだ事が原因で亡くなりました。怒った夫のイザナギの神は、火之迦具土神の首を刎ねました。その時の血から生まれたのが、武甕槌命です。今なら、産んだ子が原因でその母親が死にました。怒った父親は、生まれたての自分の赤ちゃんを殺すでしょうか。絶句するロマン時代です。
 仲哀天皇と神功皇后の間に生まれたのが応神天皇です。
 ちなみに、今(2005年)話題になっている靖国神社の祭神をご存知でしょうか。
 神話の神や天皇でなく、「日本のために命をささげた」戦没者を英霊として、約246万の御柱を祭神としています。
 明治天皇が戊辰戦争で戦死した官軍側兵士を祀ったのが靖国神社の起源です。西南戦争の西郷隆盛は、賊軍なので祀られていません。乃木希典・東郷平八郎は、戦死ではないので祀られていません。しかし、吉田松陰・坂本龍馬・高杉晋作らは祀られています。
 『古事記』や『日本書紀』の時代の日本人は、杓子定規でなく、あっけらかんとしていた感覚をもっていたのですね。
地域共同体はそんなに簡単なものではない
 私は在職中人権の係りをしていた時、姫路工業大学の先生に講演をして頂いた事があります。その中で先生は「今簡単に共生という言葉が独り歩きしている。共生とは…」と言って、タイでの体験を話された。大きな釜に村人が色々な物を持ち寄り、分け隔てなく手づかみで食う。この感覚が共生である。
 今は家族でも親父の箸が入った鍋の物は食べられない。個人個人の鍋とか取り皿という時代である。共生の体験をしたことのない人、地域共同体を経験したことのない人が軽々に「今の日本を再構築するには共同体の再建しかない」という。自ら体験して発言すれば、その重みが分かると…。
 今は経済活動と無関係の祭が中心になってしまっています。
 以前は、春に、神を山から里にお迎えします。祭の時に上げる幟は神をお迎えする目印です。神をお迎えして、お田植え祭などが行われていました。これは豊凶を占う神事です。綱引きや相撲大会も同じ趣旨で行われていました。
 秋、収穫後、神を神輿に乗せて、村の田から田へとお迎えする。これを「お旅」といい、休憩する場所を「お旅所」と言います。家々の提灯は神を家にお迎えする目印です。
 私の子供時代、「お旅所」に芝居小屋ができ、旅役者の芝居を見物しながら、家族でご馳走を食べたものです。座席の隣の人の玉子焼きを頂いたり、蒲鉾を交換したりしたものです。あの頃の華やかで、のどかな雰囲気を今でもワクワクと思い出します。これは神と共に食事をして、芝居を見ていただいて、来年も機嫌よう来ていただく重要な神事なのです。地域共同体とはこんな感覚をいうのでしょうか。
 秋祭りの幟は神を里から山へ返す準備でもあります。
 追記(1)
 2005年8月発行のゴーマンな漫画家の本を初めて買いました。「あとがき」に「欧米列強さえ来なければ幕藩体制で良かったのだ。たとえ身分制度があり、差別のある社会だったとしても」という一文が気になったので。
 ゴーマンな漫画家は、その本の中で、神社について、次のような記述をしています。
 「元来、神社には”社”を建てるという発想すらなかったのだ」(これは正しい)。
 「これ(社を建てるということ)は仏教が渡来し、”寺”が建てられたことに対抗したものである」(沖ノ島の例や、私の住んでいる相生市の例を見ても、間違っています。巨岩そのものがご神体であり、臨時の祭壇が常設化しただけのことです)
 追記(2)
 ゴーマンな漫画家は、上記の本の中で、次のような記述もしています。
 「靖国神社は、先祖崇拝という信仰に基づき、”氏子””氏神”の関係で成立している、日本の伝統・習俗そのものなのだ」(靖国神社は国策で建立され、後、政治的に活用され、庶民を動員するために利用されました。庶民を政治的に利用したり動員する氏神様はいません。そういう人間はいますが…。ゴーマンな漫画家には、歴史を政治的に利用するためか、間違った理解が多く見受けられました)

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