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エピソード

015_01

大王と豪族(氏姓制度、氏上、田荘、部曲、臣・連・君・直・造・首・村主・史)
 歴史用語で一番説明しにくかったのが、「氏姓制度」でした。文字の説明は誰でも簡単に出来ますが、追体験的にという私の手法が通用するかどうか、試金石的歴史用語です。
 まず「氏」についてです。文字の説明では「血縁的・地縁的な結びつきを元にした集団」といえる。体験的には分かったような分からない、実態のない表現です。
 そこで私は、あちこちの祭を取材しました。祭の時に出す提灯や幟には「氏子中」と書いています。今はそこに住んでいる人は無条件でその神社に祭りに参加できます。
 しかし、以前の祭は、かなり違っている事を知りました。
 神輿を担いだり、神社の玉垣に入れる人は、そこに住んでいる人全てではなく、氏子になれる人であることが分かりました。氏子になるには厳しい条件があり、例えば氏子の娘さんと結婚する(つまり養子になる)、そこに住んで十数年経過して、その村に貢献するなどがあります。
 姫路の魚吹神社の提灯割り神事は有名で、TV局の放映があります。十数か村の若者がTVを意識して、趣向をこらして、酔った勢いで狂喜乱舞します。勢いで、持ち時間をオーバーする事があります。そうなると、大変です。しかし、世の中上手くしたもので、その時の宮総代が手際よく処理します。経済的にも社会的にも村の尊敬を受けているだけに、指示も的確なら、若者も「あの人が言うなら」と引き際がよい。
 なぜ厳しい条件があるかといいますと、村には先祖代々伝わる共有林があり、年に何回か山林仕事に従事してきました。その木が成長し、売却すると1本で10万円もするといいます。これで得た収入を氏子に分配するのです。新参者に気前よく振舞えない状況があったのです。地域的・経済的な紐帯が精神的・擬制の血縁的な集団になっていたのです。
 氏姓制度のを氏子の集団、そのリーダー(宮総代)を氏上、氏の構成員を氏人と理解すると、よく理解できます。氏が所有している共有地を田荘といい、氏が所有している共有の民を部曲といい、氏の構成員が私有している民を奴婢といいます。奴婢の奴は男子の家内奴隷で、婢は女子の家内奴隷です。
 大和政権は、氏上に朝廷の姓を与えることで、支配下に組み込んでいきました。
 姓は、中央・地方とか、有力者の権力によって、異なりました。
(1)は、有力豪族に与えられた姓で、中央では蘇我氏・g城氏・平群氏がいます。地方では吉備氏・和爾氏です。臣の最有力者を大臣といいます。大臣は天皇家の親戚になります。
(2)は、伴部を率い、特定の職能によって朝廷につかえる有力豪族に授与された姓で、中央では大伴氏・物部氏・中臣氏・忌部氏がいます。連の最有力者を大連といいます。大連は天皇家の親戚になります。
(3)(公)は、地方な有力豪族に授与された姓で、筑紫氏・毛野氏がいます。
(4)は、大和政権の支配に服した一般の地方豪族に授与された姓です。
(5)は、部民を統率する豪族に授与された姓で、衣縫部・穴穂部がいます。
(6)は、地方の伴造や帰化人の子孫や地方の首長に与えられた姓で、文首・鵜飼部首がいます。
(7)村主は、帰化人の子孫に与えられた姓です。すぐりは韓語で村長を意味します。
(8)は、帰化人の子孫に与えられた姓で、文筆の職能で奉仕します。
 この項は、『日本史B用語集』などを参考にしました。
教えるものが実感できないと、教わるものも実感できない
 「氏」(氏子の集団)のリーダーである「氏の上」(宮総代)が、大和朝廷との力関係を示す「姓」を与えられる。つまり朝廷は氏の上に姓を与える事で、忠誠をちかわせ、支配を拡大していく事が出来る。そんな制度です。

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