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エピソード

016_01

大和朝廷の地方支配(名代・子代・屯倉、部曲・部民、伴造・品部)
名代・子代・屯倉、部曲・部民
 いいか悪いかは分かりませんが、私の持論は「教えるものが分からないと、教わるものはもっと分からない」です。今まで社会科の研究会などで、この持論を展開して、歴史を説明しても余り反論がありません。あきれているのか、反論できる持論を持っていないのでしょうか。ぜひこれをお読みになった方は意見をお寄せ下さい。
 大和朝廷は服属したクニ(郡)の氏上(地方豪族)には「国造」、の氏上(地方豪族)には「県主」という姓を与えて、地方分権的に地方支配を拡大していきました。その土地を田荘といい、そこで働く農民集団()を部曲といいます。部の構成員を部民といいます。
 大和朝廷に服属しなかった地方豪族に対しては、土地を奪い「屯倉」(大和朝廷の直轄地)を設け、そこで働く農民集団()を田部といいます。部の構成員を部民といいます。
 他方、国造という姓を与えた氏からは、部曲の一部を割いて、大王家やその一族の生活の資を後納する農民集団であるを設定しました。これを「名代」「子代」「品部」といいます。長谷部・春日部のように后のを付けたり、皇の名を付けたりしました。舎人部・刑部のように大王近侍の職名を付けたのもあります。
 この方法を発展していけば、中央集権的に地方支配を拡大できます。
 この屯倉的・名代的方法で中央集権化を推進していったのが、屯倉の管理者である蘇我氏といえます。
伴造・品部
 この伴造・品部も説明に困った歴史用語です。
 伴造の伴は、『万葉集』に「大伴の氏の名に負へるますらをのとも」という歌があります。現代風に解釈すると「大伴の氏の名を持っている勇士の集団の人々よ」というようになります。つまり、(とも)は朝廷に仕える同一職種グループと理解できます。中世ヨーロッパのギルドがイメージ的にはいいかもしれません。教科書的には、世襲的職業で朝廷に奉仕する官人の団体をいいます。
 伴造のは、リーダーを意味します。
 つまり、伴造とは、朝廷に仕える同一職種グループのリーダーです。教科書的には、伴を率いて朝廷に奉仕する首長ということになります。
 伴造については、イメージが湧いてきました。品部はどうでしょうか。ホームページにアップされているものを参考にしました。無断転載につき、お許しください。原文尊重ですが、文章の統一上、一部加工しています。
(1)子代・名代・品部・田部は、天皇家に隷属していた部民。朝廷が国造の地方豪族に対し召集した「伴」(大王や天皇家の護衛や雑務をする)をサポートするために設置された。品部は、農民意外の部民(伴)のこと。技能に応じ各部がいた(馬飼部・錦織部などでありそれら部の首長が伴部。
(2)特定の仕事に携わる集団を伴、そのトップを伴造(中小豪族)、伴の支配下にいる集団を品部と言う。
(3)「工学部で材料学やっています。考古試料から職能集団の追跡の研究をやっていますが、文献を読んでも「伴」と「部」の違いがよく分かりません」という質問に対し、「5世紀以降朝廷内の様々な業務を、貴族の子弟に出仕させ、その仕事に従事させることが目的です。これが「伴」の誕生です。日本に渡来人がやってきて、職能を生かした仕事に従事しました。百済の官司制度が「部」という呼称を用いていたので、これまでになかった職能集団もあわせて「部」の字をつけて呼ぶようになりました。これが「部」の誕生です」という回答がありました。
(4)品部というのは農民以外の隷属労働者たちの総称で、それぞれの技能にあわせた部に別れていた。主なものに宮廷官的な馬飼部、史部や、生産に携わる鍛冶部、錦織部、陶部などがある。この品部を管理統制していたのが伴造だ。世襲的職業で朝廷に奉仕する官人の団体を伴と言い、その首長が伴造ということになる。
(5)伴造が伴、品部(伴造、伴のための労働・材料搬入者)を従えた。
(6)実際の政治の仕事は、伴造とよばれる豪族や、それをたすける伴とよばれる氏人によって分担され、伴造や伴は品部とよばれる人々をしたがえて、代々決まった仕事を行っていました。品部というのは、大和政権のために仕事をする技術者集団のことで、韓鍛冶部・陶作部・錦織部・鞍作部などの手工業者の集団が中心でした。
(7)伴造とよばれる豪族や、それをたすける伴(伴造を助けるその氏人の集団)が分担。伴造は伴や品部(伴造や伴のために物資や労役を負担する隷属民)を従え、代々その職務に奉仕。品部の例として、韓鍛冶部・陶作部・錦織部・鞍作部・史部らは渡来人系の品部。玉造(作)部・服部・犬養部・土師部らは従来からの品部。
(8)伴・品部は伴造の部下。
(9)品部は特殊技能集団で、あくまで部曲と同格の部民(半隷属民)です。部民は移動や主人を変える自由はないが、家族を持つ自由がある。この品部をまとめるのが伴、そのリーダーが伴造だと考えられる。物部氏や大伴氏は、軍事という特殊職能でもって、配下の品部を率いて朝廷に奉仕する伴造系の豪族。
(10)実際のテスト問題の例です。次の文中の(  )内に適する語句を記入せよ。
 政権の様々な職務は、( 1 )とよばれる技術集団やそれを支える伴によって分担され、( 1 )は伴や品部とよばれる人々を従えて世襲的にその職務に奉仕した。政権に仕えて生産に従い、その職務の名を負う( 2 )、( 3 )の経営に当てられた私有民である( 4 )・名代、( 3 )の私有地である( 5 )などがあった。
(11)教科書には、「大臣・大連がその中枢をにない、その下の伴造が、やそれを支えるとよばれる集団をひきいて軍事・財政・祭祀・外交や文書行政などの職掌を分担した。また新しい知識・技術を伝えた渡来人たちも、伴造や伴に編成され、品部の集団がそれを支えた」と記述されています。
(12)指導書には、「同じ名の初負・舎人・膳夫が伴(トモ)として大和に出仕し、宮廷で勤務した。名代は、このトモを資養する部と考えられている。部民は、一般的には「品部」「部曲」「名代・子代」に分けられている。「品部」は、大化前代においては、土師部・馬飼部・忌部など職名を帯びる部(職業部)のことを指す。品部は、雄略朝に渡来人披術者によって編成された陶作部・錦織部・鞍作部などの部(トモ)の組織を受け継いだものである。品部は、伴造に統率され、ヤマト政権にさまざまな物資や労働力を貢上した」と記述されています。
(13)用語集には、「伴造に従い、それぞれの職能で奉仕した部(労働集団)。馬飼部・史部・忌部のような宮廷官的なものと、韓鍛冶部・錦織部のような生産に携わるものがある」と記述されています。
 工学部の学生が「部」と「伴」の違いを質問しています。その答えは、伴と部とは同じで、名称の変更としています。
伴と品部と部の違いも曖昧です。定義曖昧な上で、言葉を羅列しています。
 私もあまり自信がありませんが、一応挑戦してみました。
 伴は、朝廷に仕える同一職種グループです。SMAPのような音楽グループですから実態はありません。
 部は、労働集団です。的確ではないですが、SMAPとSMAPを支えるスタッフと考えました。
 品部は、大王家・朝廷に所属する部のことです。
 もう1つ重要な視点は、氏姓制度との関連です。一部ホームページ上でも指摘しています。
 伴造が氏上で、伴が氏人で、伴の構成メンバーが(または品部)です。
 この項は、『日本史B用語集』などを参考にしました。
伴造や部・品部を皆さんは、自分の言葉で説明できますか?
 次に説明しても理解してもらえなかったのが、伴造や部の制度です。皆さんは、教科書や参考書でなく、自分の言葉でどのように説明されているのでしょうか。

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