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エピソード

022_01

律令国家の形成T(古人大兄皇子の変、有間皇子の変)
 乙巳の変以降の政変を中心に調べました。
 644年、中大兄皇子は、蘇我倉山田石川麻呂の遠智娘(持統天皇の母)と姪姫(元明天皇の母)を妃としました。
 645年6月12日、中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺しました。これを乙巳の変といいます。この時、皇極天皇は、古人大兄皇子に位を譲ろうとしました。しかし、古人大兄皇子は固辞して、出家し、吉野に隠棲しました。吉備笠垂ら反改新反対派らが出入りします。
 6月13日、蘇我蝦夷が自害しました。これで蘇我氏の宗家は滅びました。
 6月14日、そこで、皇極天皇が譲位し、中大兄皇子の叔父である軽皇子が即位して、孝徳天皇となりました。中大兄皇子は皇太子になりました。
 6月14日、孝徳天皇は、阿倍内麻呂を左大臣、蘇我倉山田石川麻呂を右大臣、中臣鎌足を内臣、僧のと留学生の高向玄理を国博士に任命しました。
 6月19日、最初の年号を大化としました。
 8月、戸籍の作成を命じたり、東国に国司を任命したりしました。
 9月、吉備笠垂らが古人大兄皇子の謀叛を密告します。古人大兄皇子は、中大兄皇子の異母兄です。中大兄皇子は、刺客を送り込み、古人大兄皇子は妻と自害しました。これを古人大兄皇子の変といいます。吉備笠垂らは、その後の天智政権で活躍しています。
 12月、難波の長柄豊崎宮に遷都しました。
 646年1月1日、改新の詔を発表しました。
 647年、渟足柵を設置しました。
 648年、磐船柵を設置しました。
 649年3月17、有間皇子(父は孝徳天皇、母は阿倍倉梯麻呂の娘で小足媛)の外祖父である左大臣阿倍内麻呂が亡くなりました。
 3月24日、同族の蘇我日向は、蘇我倉山田石川麻呂を「謀叛」ありと密告しました。
 3月25日、石川麻呂は、難波の長柄豊崎宮から大和に脱出して、山田寺に入り、妻子8人とともに自害しました。中大兄皇子は、無実を密告したとして、蘇我日向を筑紫大宰帥に左遷しました。これを蘇我倉山田石川麻呂の変といいます。山田寺は仏頭で有名なお寺です。私は、この仏頭の写真を見る度に、実物の優しい表情を思い出し、癒されます。イライラするときには、仏頭の写真を取り出します。
 653年、孝徳天皇と対立した皇太子の中大兄皇子とその母皇極上皇は、皇族・百官を連れ、難波宮から飛鳥宮に移りました。中大兄皇子の妹で天皇の皇后の間人皇女までもが去っていきました。
 654年、そのことがショックだったのか、孝徳天皇(59歳)は、難波宮で亡くなりました。この時、有間皇子は15歳でした。有間皇子の下に反改新派が出入りするようになりました。
 655年、孝徳天皇の姉で、中大兄皇子の母である皇極上皇が飛鳥板蓋宮で再び即位して、斉明天皇となりました。時に62歳でした。元の天皇が再び即位することを重祚といいます。
 658年10月15日、斉明天皇は紀伊国牟婁温湯(今の白浜温泉)に行幸し、中大兄皇子ら百官も随行しました。有間皇子は蘇我赤兄らと共に飛鳥に留まりました。
 11月3日、赤兄は有間皇子に中大兄皇子の失政3か条を話し、中大兄皇子の留守中に謀叛を起こすことを勧めました。この時、有間皇子は「吾が年始めて兵を用いるべき時なり」と興奮したといいます。
 11月5日、有間皇子は、赤兄の邸宅へ出向きました。この時、脇息が折れたので、不吉として、謀反の中止を誓い合いました。有間皇子は、自邸に帰りました。
 11月5日夜、赤兄は物部朴井鮪を派遣して、有間皇子邸を包囲させるとともに、中大兄皇子のもとへ使者を派遣しました。
 11月9日、有間皇子は捕らえられ、裸足で紀の湯まで連れて行かれました。中大兄皇子は有間皇子に対して、謀反の理由を訊問しました。有間皇子は「天と赤兄と知らむ。吾もはら知らず」と答えました。
 11月11日、有間皇子は、紀州の藤白坂で絞首刑になりました。時に19歳でした。蘇我赤兄は、天智朝では左大臣に抜擢されています。赤兄の娘の常陸姫は、天智天皇の妃になり、その間に生まれた山辺皇女は大津皇子の妃です。これを有間皇子の変といいます。
有間皇子の変と『万葉集』
 この時詠んだ有間皇子の歌が『万葉集』にあります。
 「磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む」
 「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」
 これは、事件から43年後、持統天皇の時代に有間皇子を詠んだ歌です。
 「藤白の み坂を越ゆと 白たえの わが衣手は 濡れたけるかも」
 有間皇子の姉の歌も『万葉集』にあります。
 「うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)とわがみむ」
 高校時代に読んだ『万葉集』のなかで、特に印象に残った歌でした。それにしても謀叛人の歌を収録する『万葉集』の編集者の度量の大きさにも感心させられたものです。
軽皇子(孝徳天皇) 有間皇子
茅 淳 王 宝皇女(皇極天皇)
  ‖━ 中大兄皇子(天智天皇)
大海人皇子
間人皇女
━━━━━ 田村皇子(舒明天皇)
 ‖━ 古人大兄皇子   ‖━ 山辺皇女
━━━━━ 法堤郎女
蘇我蝦夷━ 入 鹿
蘇我倉麻呂 石川麻呂
日向
赤兄 ━━━━━━ 常陸娘

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