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エピソード

025_01

白鳳文化(仏陀の生涯と仏像の覚え方)
 仏像は仏を具体化したものです。仏像を覚えるには、仏つまりお釈迦さんの一生を知れば、簡単に覚えられます。
 御釈迦さんは今から2500年程前に、インド北部・ヒマラヤ山脈のふもとのルンビニーの園で生まれました。父はシュッドーダナといい、釈迦族という一族の王でした。マーヤ夫人は長い間子宝に恵まれませんでした。20数年たったある夜、白象が右脇から体内に入る夢を見て懐妊した。
 マーヤ夫人が庭を散歩している時に、綺麗な花があったのでそれを取ろうと右手を伸ばしたときに、お釈迦様さんマーヤ夫人の脇の下から生まれました(脇の下像)。御釈迦さんは生れ落ちると七歩歩き、片手を天に他方の手を地に向け、「天上天下唯我独尊」(天にも地にもただ我一人のみが尊い)と言いました(誕生仏)。4月8日のことです。マーヤ夫人はその一週間後に亡くなりました。
 シュッドーダナ王は一切の願いが成就したという意味のシッダールタ(悉逹多)という名を王子に与えました。「ゴー」は牛、「タマ」は優れたこと、「シッダ」は成就、「アルタ」は目的を意味します。
 そのころアシタという名前の仙人が王子を見て「このお子が長じて家にいられたなら世界を統一する偉大な王となり、もしまた出家して道を修めれば世を救う仏になられるであろう」と予言したといいます。
 しかし、お釈迦さんはやがて王位継承権も捨て、妻子も残して出家しました。
 東の門を出ては老人の姿を見ました。南の門を出ては病人の姿を見ました。西の門を出ては死人を見まいした。最後に北の門を出ては修行僧の姿を見ました。(生病老死の四苦)。これが出家の原因と言われています。これを「四門出遊」といいます。
 出家して六年間、身を苦しめ、心を苦しめ、骨と皮だけになるほど修行に励みましたが、悟りは得られませんでした(苦行像)。
 苦行では本当の悟りは得られないと知り、苦行の仲間からはずれ、村娘スジャータの差し出す乳粥の施しを受けました。そして、一人ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想に耽りました(半跏思惟像)。
 お釈迦さんが35歳の12月8日のことです。明けの明星の輝くころ、ついにお釈迦さんは悟りを開きれました(如来像)。
 その悟りとは、人生は全て四苦(病・老・死は生まれてくることから発生するので生も苦である)+四苦(愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦=色〔肉〕、受〔感覚〕、想〔表象〕、行〔意思〕、識〔認識〕という存在の基になるすべてが苦)=八苦で出来ていることを知る。その原因は執着心(煩悩)から起きている。108つの煩悩=執着心を絶つことである。その方法として中道を説きました。
 お釈迦さんが80歳になった時です。クシナガラの沙羅双樹のもとに床を作り、枕を北にして、体は西向きにして、亡くなりました(涅槃図)。アシタという仙人の予言どおり、お釈迦さんは「世を救う仏」になったのです。
仏像は釈迦物語で覚えよう(T)
 脇の下から生まれたり、誕生してすぐ七歩も歩いたということもなければ、インド人が生れ落ちてすぐに、中国語で「天上天下唯我独尊」ということもありません。それ以外は大体ご存知の話です。私が小学校の頃、檀那寺の日曜学校で、紙芝居として聴かせてもらいました。当時のお寺は、文化の中心として、老若男女の尊敬を得ていたのです。その理由は、僧侶の日常活動にあったように思います。
 でもストーリとして覚えておけば、仏像の理解に大いに助かります。

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