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生産と流通(和同開珎誕生秘話、物々交換は楽ではない) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 「昔、人々は物々交換をしていた」というが、現実的には、物々交換は口で言うほど楽ではない。 私は米を持っている。重い米を持って、漁村に行き、塩を買いたいと思う。漁村で塩を売って、米を買いたい人を探す。魚を売って米を買いたい人はいるが、塩を売る人はいない。塩を売って野菜を買う人はいる。こうして重い米をもって、あちこち歩き回っても、なかなか、交換はできないことが分かる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2 | ここで皆が欲しがる物(金とが銀)を売買の仲立ちに使うと、交換は簡単に出きる。私は金を持って漁村に行き、塩を買う。私から金を得た人は、それで野菜を買う。 こうして日本最初の貨幣である、和同開珎が誕生しました。 貨幣発行の経過を見てみましょう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3 | 668年、越後より石油が献上されました。 674年、対馬より銀が献上されました。 702年、度量衡の制定が制定されました。度とは長さ・面積、量とは容積、衡とは重量のことです。 708年1月、武蔵より自然銅が献上されました。そこで和銅と改元されました。 5月、最初の貨幣である和同開珎が鋳造されました。 711年、貨幣を流通させる目的で、蓄銭叙位令が出されました。その内容は、10貫以上の蓄銭すれば、位を1階進級するというものです。 714年、郡司任命の条件を蓄銭6貫以上とするなど貨幣の流通を図りました。銭貨が流通したのは、都とその周辺だけで、地方では稲・布の方が価値が高く、稲・布が貨幣として流通しました。 749年、陸奥より金が献上されました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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頭の学問、紙の学問だけでは限界を超えられない | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 何故、金が世界共通の貨幣になり得たのでしょうか。別な表現をすると、何故、金は世界中の誰もが欲しがる物だったのでしょうか。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2 | 1グラムの金は針金状にすると、1キロも伸びると言います。1グラムの金を板状にすると、1万分の1ミリに薄くなると言います。銀は金に対して針金状にしても、板状にしても格段に劣ると言います。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3 | 黄金の輝きといい、その質の高さといい、金は歴史を通じて、世界中の憧れの的だったのです。現在も、これに勝る物は見出されておりません。 |