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エピソード

028_02

奈良時代の家族構成(妻問婚と夜這い)
 鹿児島県へ旅行に行った時、同僚が鹿児島特産の「柘植の櫛」を買っていました。そこで、私は、何故、鹿児島では柘植の製品が特産になったのか、調べてみました。
 鹿児島では女の子が誕生すると、庭に柘植を植えます。その女の子が年頃になり、結婚が決まると、その柘植の木を切り、嫁入り道具にします。そんな風な話を聞いたことがあります。
 大学時代、鹿児島から来た同期生がこんな話をしてくれました。
 戦前のことです。柘植の木がある程度大きくなると、そこの女の子が適齢期に達したということが誰にでも分かるようになっています。その女の子を好きな男の子は、夜になると、その柘植の木の植わっている庭に、木の棒を突き立てて帰ってくるといいます。
 女の子は、それを見ていて、その男の子が好きな時は、その棒を家の中に入れておきます。次の夜、男の子がやってきて、木の棒が無ければ、自分の意思が受け入れられたと思い、女の子の部屋に入っていくといいます。
 木の棒を使ってお互い呼び合い(ヨバイ)、こうして妻問婚が成立するのです。
 男の子が好きでない場合、次の夜も、男の子は木の棒を立てて、家に帰ります。毎日毎日繰り返し、100本木の棒が立った場合、男宿の連中が女の子をさらって、結婚をさせるといいます。昔から伝わる合理的な制度です。
古い制度も、おつなもの
 どこが合理的かといいますと、ライバルがおれば、その男の子が「待った!」をかけて木の棒を立てればいいのです。100本も立てても、未だ、ライバルが出てこないということは、「こんな熱心な子は、この男の子しかいないよ」と説得できるし、本人も納得できるのです。自由恋愛が認められていない時代でも、万葉的で牧歌的な風習が残っていたのです。
 調査旅行に行ったときも、ヨバイを「夜這い」と勘違いして、ここら辺にも「夜這い」の風習が残っていたと笑いながら話すのを聞いたことがあります。
 夜這いから何と陰湿で野蛮な風習を想像しますが、本当は呼び合う「ヨバイ」だったのです。
 これほど現代化が進んでも、男女の出会いは少ないと嘆いている若者や未婚の子供を抱えるお父さんやお母さん。もう一度このような風習を見直しては如何でしょうか。

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