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エピソード

029_02

聖武天皇と政界の動揺U(藤原広嗣の乱)
 729(天平元)年、長屋王の変で、天武天皇の孫で、左大臣の長屋王が自害に追い込まれました。その結果、藤原氏に刃向うライバルがいなくなりました。
 731(天平3)年、藤原不比等の四人の子供たちが令外官(律の規定)の参議に就任しました。参議は左右大臣・大中小納言に次ぐ要職で、第5番目の高級官僚ということになります。式家の参議藤原宇合の子広嗣は将来の勉強のために、大宰少弐として赴任します。
 737(天平9)年、不比等の四人の子供が疫病で亡くなりました。南家の参議藤原武智麻呂(長男)、北家の参議藤原房前(次男)、式家の参議宇合(三男)、京家の参議藤原麻呂(四男)です。
 738(天平10)年、貴族藤原氏の専横を快く思わない王族もいました。その代表が右大臣葛城王で、臣下に降下して橘諸兄といいます。諸兄の先祖は敏達天皇で、母は不比等の前妻県犬養三千代です。光明皇后とは異父兄妹になります。諸兄は唐から帰国した吉備真備・僧玄ムを抜擢して、反藤原陣営を築きます。
 740(天平12)年、中央政界復帰の道を立たれた藤原広嗣が反乱を起こし、斬首の刑に処せられます。これを藤原冬嗣の乱といいます。式家は歴史から消えていきました。
美  怒  王
  ‖━ 葛城王(橘諸兄) ━━━━━━━ ━━━ ━━━ 奈良麻呂
県犬養三千代
  ‖━ ━━━━━ ━━━━━━━ ━━━ ━━━ 光明子(光明皇后)
     ‖ 南家(武智麻呂) 仲麻呂
     ‖ 永手
     ‖ 北家(房前) 真盾 内麻呂
     ‖ 広嗣
     ‖ 式家(宇合) 良継 乙牟漏
     ‖ 清成 種継
     ‖ 百川 旅子
     ‖ 京家(麻呂)
藤原不比等━ ━━━━━ 宮      子
  ‖━━━ ━━━ ━━━ 首皇子(聖武天皇)
元 明 天 皇 ━━━━━ 文 武 天 皇
歴史は必然と偶然の産物
 疫病が流行していなければ、広嗣は中央政界の若きプリンスとして活躍していたでしょう。
 歴史に「もしも」という事が許されるなら、日本の歴史の違ったものになっていたでしょう。でも許されないから、歴史は色々な教訓を残してくれて、面白いのかも知れませんね。

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