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エピソード

031_02

国家仏教U(行基の伝説と実像)
 【伝説1】行基が弟子を連れて淀川のほとりに着きました。行基は大きな柱が1本、川面に突き出ているのを見つけました。不思議に思ってその理由を尋ねると、1人の老人がその訳を話しました。
 「その昔、この地に橋がかけられることになりました。しかし、橋のいけにえとして人柱を立てるのが当時の風習でした。その人柱に若くて、美しい茶屋の娘が選ばれました。その娘は父や母の涙をふり切って、「私の命で、神の心が安らぎ、無事、橋がかけられるなら」と、川底に身を沈めました。こうして、橋はかけられましたが、度重なる大水で流され、大きな柱だけが1本が残ったのです。多分、あれは人柱となった娘の化身ではないかと噂しております」。
 その話を聞いた行基は、地方から都へ米・塩・布などの租税を運ぶ人、宮中や寺院の工事にかり出されて行く人を動員して橋を完成させました。この橋は「山崎橋」と呼ばれたといいます。
 【伝説2】行基は病人を温泉に連れて行き、衣を脱がせて湯に入れました。病人は目を細めて喜びました。湯から上がった病人は「体中の腫れ物の膿を吸い出して楽にしてくれませんか」と頼むと、行基は病人の体はただれてウジまでわいていて臭かったが、我慢して全身の膿を吸い取りました。
 すると、病人の体がポロボロと崩れ、中から金色に輝く仏が現れました。行基がびっくりすると、仏が微笑んで言いました。「あなたの慈悲深さには本当に感心しました。私はこの温泉の行者です。あなたは、この温泉を開放して多くの病気の人々を救ってあげなさい」と、仏はそう言うと、どことへもなく去っていきました。
 行基は言われたとおり温泉を開放し、多くの病気の人々を救ったと言います。光明皇后にもよく似た話がありますね。
 行基は和泉国大鳥郡蜂田郷に百済系渡来人の血をうけて生まれました。15才で薬師寺に入り、道昭について唯識論を学びました。唯識論は一読して即座にその奥義を理解したと言います。とさらに竜門寺の義渕について法相を学びました。
 やがて、行基は各地を歩いて周り、民間布教に務めました。行基がやって来ると、説教を聴こうと人々が集まってきて、村のに中には誰もいなくなったと言います。
 また、行基を慕って付き従う者の数が数知れなかったと言います。行基はこうした弟子率いて、交通の難所には橋を作ったり、堤を築いていったりしました。そのことを聞いた人たちもやって来て協力ししました。また、平城京造営のために諸国からかり出された役民が路傍に餓死するを見て、彼らを救うために布施屋(宿泊施設)を作りました。
 行基とその仲間が畿内一帯に造ったものには、菅原寺など多数の寺院、狭山池など多数のため池、大輪田泊など多数の港、山崎橋など多数の橋、大枝布施屋など多数の布施屋、有馬温泉など多数の温泉などがあります。
 国家仏教の当時、行基のやってきたことは僧尼令に違反していました。
 717(養老元)年、行基の布教を禁止しました。その後も度々中止を命じられたり、弾圧もうけました。それでも行基は民衆救済の事業を続けました。
 東大寺大仏造立がなかなか進まなかったので、聖武天皇は行基の指導力とその膨大な人的資源に目をつけました。
 745(天平17)年、行基を大僧正に任命しました。これまで僧綱(僧尼・寺院を支配する役所)のトップである僧正を務めていたのが、玄ムです。大僧正という役職は、玄ムより上位の僧綱の最高職にあたります。どれほど聖武天皇が行基に期待していたかがわかります。
 ともかく、行基の協力で、大仏造立は順調に進みました。
 752(天平勝宝4)年、聖武上皇・孝謙天皇の前で、大仏開眼供養が行われました。しかし、その場には第一の大仏造立の功労者である行基の姿はありませんでした。行基は3年前に亡くなっていたのです。時に82歳でした。その後人々は行基菩薩と言うようになりました。
行基と社会福祉事業
 【伝説3】行基が野外で説法をしていた時、女が1人の子供を連れてきました。その子は10歳なのに歩けず、泣き虫のくせに、何でもガツガツ餓鬼のように食べると言うのです。それを聞いた行基はその子を川に捨てるよう命じました。母は悲しみましたが、川に捨てました。その子は川に沈まず目をギラギラさせて「口惜しい。もう3年食いたかった」と言って姿を消しました。
 行基はその母に「お前は前世に非常な負債を負いながら、それを償っていない。早く償いなさい」と因果応報の教えを説きました。
 仏教もともとキリストに通ずる無償の愛の教えがあります。行基はそれを償いと称して、民衆と共に池や橋などを造ったり、修理していったのです。
 既成宗教の伝統にアグラをかいて、民衆のために行動しないで、葬式と法事で生計を立てている人々に知って欲しい話です。出家とは世俗を捨て、俗人にはない心身の修行をして、凡人に一歩先んじた行動をする人です。現実に世俗を捨てよとは誰も言わない。せめて世間の人から「さすがあの人は坊さんだ」と言われて欲しい。

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