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エピソード

036_03

密教の流行V(大日如来の覚え方)
 密教では毘盧舎那如来大日如来と言います。サンスクリット語ではマハー・ヴァイローチャナで、マハーは「偉大な」、ヴァイローチャナは「太陽」という意味です。
 毘盧舎那仏の光明が及ぶ範囲は天文学的数字ですが、大日如来の照らす範囲はそれより広く、宇宙の果てを突き抜けてあらゆるものを照らし続けるとされます。曼荼羅については、別なところで扱います。この頃宇宙を考え、それを突き抜けた世界を考えていた人がいたとは驚きです。
 また密教では釈迦如来をはじめ全ての如来や菩薩、明王などは大日如来の化身とされます。いくら説教しても聞き入れない衆生を教化するために大日如来が化身したのが不動明王と言われます。
 大日如来は他の如来と違い、派手な装身具を身に着けています。その理由は仏教の理想をこの世で実践するために在家の姿をとっているとか、大日如来は仏の王とする考えの現れともいいます。
 左手の人差し指を立て、それを右手の拳で握っています。これを智拳印といいます。
 大日如来は宇宙そのもので、姿かたちを持ちません。明王は大日如来の使者です。菩薩は慈悲で人を導きます。しかし、慈悲では動かない人もいます。そういう人をおどしたり、叱ったりして導くのが明王の役割なのです。
 不動明王、烏枢沙摩明王、愛染明王、孔雀明王、太元帥明王などです。
体験と知識がミックスして、活きた知恵となる
 子供時代、忍者ごっこして、印を結んだことがあります。学問的には大日如来の智拳印と言うんですね。大日如来を理想を実現するために印を結び、子供たちは化身するために印を結ぶ。あながち間違った考えではなかったことになります。
 こわい「お不動さん」を見て、母親から「言うことをきかないとお不動さんのところを連れて行く!」と脅されたものです。そのころの子供はそれで、シャンとしたものです。
 怖い顔をしているのは、衆生をにらみつける意味ではなく、仏敵をやっつける強い意志を示すと専門家から教えられたことがあります。
 恐い顔をして敵をやっつけても、恐い顔で脅して諭しても、どちらも言うことをきかない者を脅す点では同じです。今考えると滑稽ではありますが、この使い方もまんざら間違ってはいなかったのですね。
 東北地方のナマハゲに共通する部分があるなーと思っています。如何でしょうか?
 今回は背景・教義を扱う関係で以下の書物を参考にしました。先人の労苦に感謝します。
ひろさちや原作『仏像のはなし』(すずき出版)
田中義恭・星山晋也編著『目で見る仏像-如来-』(東京美術)
瓜生 中著『仏像がよくわかる本』(PHP文庫)
西村公朝著『仏像の声』(新潮文庫)

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