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エピソード

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地方武士団の成長V(侍も昔は貴族の「侍ふ」人)
 平將門の乱藤原純友の乱を通じて地方武士団の実力は証明されました。
 そこで、朝廷や貴族たちは武士を身辺警護や都市の警護の採用するようになりました。その代表が滝口の武士です。その名の起源は彼らの詰め所が清涼殿東北の滝口になっていたからです。
 貴族にとっての武士とはどう映っていたのでしょうか。当時の絵巻物を見ると、貴族は寝殿造の座敷で酒盛りをしています。他方、雨の降る中、軒下でじっと主人の帰りを待っている人物が描かれています。手に長刀のような武器を持っているので、これが武士なのでしょう。
 つまり貴族にとっての武士とは、貴族である主人を待って「侍ふ」人なのです。侍とは貴族の番犬という意味だったのです。侍の本職は百姓です。それが専門の侍になっていく歴史でもあるのです。
侍に固執する自由人(?)の福沢諭吉
 明治の初期のことです。『学問のすゝめ』がベストセラーになった福沢諭吉をある友人が皮肉をこめて質問しました。「君の娘さんは、誰とでも結婚さすのか」。それに対して諭吉は「やはり、侍の家でないと…」と答えたといいます。あれほどの言論人、国際人、自由人であった諭吉でさえ、侍を専門化した職業ととらえているのです。
 私の家に時々、かなり年配の方から手紙が来ます。その方の名前の下に小文字で侍史と書いています。この場合は、一歩下がってあなたの僕という意味に使われています。

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