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エピソード

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平安時代ー日宋私貿易
 菅原道真遣唐使に任命された894年頃の東アジアの情勢はどうだったでしょうか。
 875年に黄巣の乱があり、880年に長安城が陥落し、916年に唐が滅亡しています。道真は政争に巻き込まれ、藤原氏から遣唐使として「左遷」される運命でした。しかし、さすが学問の神様と言われる道真です。
 当時の中国の「正しい情報を誰よりも早く」キャッチして、遣唐使の派遣の無意味さを説き、遣唐使が廃止されました。
 その後の東アジアの情勢はどうだったでしょうか。
 926年にが渤海国を滅ぼします。
 936年に高麗が新羅を滅ぼします。
 960年に趙匡胤を建国します。
 1115年に女真族の阿骨打を建国します。
 1125年に金が遼を滅ぼします。
 1127年に金が宋を滅ぼします(宋の皇帝徽宗親子が会寧に連行されるという痛ましいこともありました)。南京に移動した宋の高宗が即位して、宋(南宋)を再建します。
 このように古い体質の国家が崩壊し、新しい体制の国家が誕生しました。
 他方、日本の統治者は島国ということもあり、外敵の脅威が実感できなかったのでしょうか、鈍感だったのでしょうか、足元の危機を知ることもなく、摂関時代の貴族文化を謳歌していました。 
 足元の危機とは、後に金を建国した女真族1019年に博多湾に進入すると事件です。幸い太宰権師藤原隆家と現地の武士が撃退しました。武士の活躍を見て、現地の人々は武士の時代の到来を予感したといいます。
 経済に関しても、荘園からの「上がり」に満足して、積極的に新興の諸国との国交を計って、エネルギーを得ようとはしませんでした。遣隋使や遣唐使を派遣した情熱は当時の貴族にはなかったのです。
貧すれば鈍する
 ある店での教訓です。あまり客が来なくなったので、電気代がもったいないと、部屋の明るさを暗くしました。客はそれを見て、「閉まっているのか」と思って他店を行った人もいました。別な客は「電気代を節約する必要があるほど客が来ない、評判のよくない店なのだ」と思って、2度と行かなくなりました。
 客が来ないのだから、商品の回転は悪くなり、品物は古くなる。古くなると、客はより来なくなる。より来なくなると、日中は電気を消してしまいました。
 自分の身を守るあまり、消極的になっていく摂関時代の貴族を考えると、いつも「貧すれば鈍する」という言葉を思い出し、上の店の話を連想してしまいます。
 貧した時にこそ、新しいアイデアを出すチャンスです。手をこまねいていると、やる気の新興の商店にやられてしまします。

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