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エピソード

043_01

国文学T(藤原彰子と藤原定子のこと)
 平安時代の政治や文化を知るために不可欠な前提があります。それは天皇には公式に認められた妻が10人いたということです。その妻たちは清涼殿という天皇のプライベートな屋敷に部屋を与えられ同居していました。まさにハーレムです。彼女たちの任務は、天皇との間に男子(次の天皇)を生むことです。そのことで実家の親や兄弟の出世が叶えられるのです。
 当時、藤原兼家の長子藤原道隆が関白でした。その道隆の長子である藤原伊周は大納言で、長女が藤原定子、次子が藤原隆家です。
 990(正暦元)年1月、定子(14歳)は時の帝である一条天皇(11歳)の下に入内しました。梅壷という部屋を与えられます。一条天皇は母藤原詮子は道隆の妹、藤原道長の姉で、伊周や定子には叔母になります。
 2月、定子は女御(10人の妻のうち4〜6番目の地位)となりました。
 993(正暦4)年、定子は中宮(10人の妻のうち2〜3番目の地位)となりました。
 たくさんの妻の中から、皇子を生むためには、自分の部屋に天皇が来なくてはなりません。スーパーガールならともかく、すべての点で天皇をつなぎとめる魅力をもった女性はいません。そこで、実家としては権力・財力を用いて、あらゆる物・者を娘に与えようとします。定子の場合は清少納言でした。
 清少納言は「宮に初めて参りたるころ ものはづかしきことの 数知れず」と『枕草子』に書いている通りで、紙をはみ出して机にまで文字を書いたり、小袿の裾をふんづけて転んだりしていました。しかし、香炉峰の雪はと聞かれて、白楽天の詩(香炉峰の雪は簾を撥げて看る)をとっさに思い出した清少納言は宮中の簾を巻き上げたと言います。この評判の才女を見ようと、天皇も再三定子のもとを訪ねています。
 995(長徳元)年2月、定子の妹の藤原原子(15歳)が皇太子居貞親王(後の三条天皇)の女御になりました。定子の父である関白道隆(43歳)が亡くなりました。一条天皇の母詮子の計らいで、関白は道隆の子の伊周でなく、道長の兄の藤原道兼が就任します。しかし、道兼は7日後に亡くなりました(7日関白)。
 6月、道長が右大臣となりました。
 996(長徳2)年1月、定子の兄伊周と弟の隆家が花山院に矢を放つという事件がおきました。これには裏があります。伊周が想いを寄せる三の君の使いがやってきて、伊周に「怪しい男が押しかけてきて、三の君に会わせろ脅しています」と告げました。伊周と隆家が急いで三の君の屋敷にやって来て、狼藉者の牛車に矢を放ちました。その相手とは花山上皇でした。この使いは詮子が送ったスパイだったと言うのです。花山上皇は三の君の妹四の君の所へ行っていたのです。 
  1月に定子の弟隆家は出雲に、5月に定子の兄伊周(内大臣)は大宰府に流されました。
 清少納言は、この時の様子を、「あはれなるもの…夕暮れ 暁に 河竹の 風に吹かれたる…」と書いています(『枕草子』)。
 伊周が京都を発つのを見届けると、定子は実家の二条の宮に帰り、出家しました。その後、この二条の宮が火災により焼失したので、定子は母の実家である高階明順の邸に移りました。その秋、定子の母である貴子が心痛のあまり亡くなりました。この悲しみの中で、定子は脩子内親王を出産しました。
 997(長徳3)年4月、恩赦により伊周・家隆兄弟に召還命令が出ました。6月、一条天皇は尼定子を呼び戻しました。
 999(長保元)年11月7日、定子は第一皇子敦康親王を出産しました。
 同じ日、道長の長女藤原彰子(12歳)が一条天皇(20歳)の女御となりました。道長は実家としては権力・財力を用いて、あらゆる物・者を娘に与えようとします。彰子の場合は『源氏物語』の紫式部でした。この段階では、清少納言の方が第一皇子を主産している定子に仕えていて、注目を浴びていました。
 清少納言はまだ余裕があったのでしょう。「優美(なまめか)しきもの…をかしげなる童女の…汗衫(かざみ)ばかり着て…勾欄のもとなどに扇さしかくしてゐたる」とライバルである彰子を紹介しています(『枕草子』)
 1000(長保2)年2月、定子が皇后となり、彰子が中宮となりました。当時は一帝二后と話題になりました。
 12月、定子皇后は、平生昌邸で、第二内親王を出産しました。しかし、定子はそれが原因で亡くなりました。24歳という若さでした。清少納言は宮中を去りました。36歳でした。その後、定子の生んだ敦康親王が帝位になることもありませんでした。代わって、彰子が生んだ敦成親王が即位して後一条天皇となりました。彰子に仕えた紫式部の世となりました。
日本史人物人気投票 第1位は定子、第3位は彰子
 手元に「日本史人物人気投票」というものがあります。それによると、 第1位は藤原定子で、第3位は藤原彰子ということになっています。第2位が真田幸村ですので、どんな性格の投票なのかよくわかりません。
 投票した人のコメントをみると、定子を「悲劇のヒロイン」とか「永遠の憧れの女性」とか「紅梅重ねが一番似合う女性」とあります。
 彰子は「自分の意志をまげない」とか「自分の意見を持っている」とか「毅然として、適度な冷たさを持った女性」とか「賢い女性」とコメントされています。
 皆さんはどう思いますか。
系図の説明(天皇、藤原氏、主な藤原氏、今回登場した人物)
公任
頼忠 ━━ 藤 原 遵 子
ィ子
伊尹 懐子
‖━ 花山 伊周
兼通  ■ 子  隆家
兼家 道隆 ━━ 定子
道兼
道綱 ‖━ 敦康親王
道長 頼通
━━ ━━ 妍子
━━ 彰子
━━ 威子
━━ 嬉子
超子 ━━ 後朱雀
詮子 後一条
三条
安子 冷 泉 天 皇 ‖━ 一条天皇
‖━ ━━ 円  融  天  皇
村上

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