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エピソード

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国文学V(『伊勢物語』)
 「むかし、おとこ、うゐかうぶり(初冠=元服式)して、平城の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり」というのが『伊勢物語』の冒頭の文です。
 冒頭の文が好きです。元服は12歳から16歳の時、髪を短く切り、もとどりを結い、冠を着ける儀式をいいます。今で言う成人式です。その若い男が狩をしていて、春日の里に「いとなまめいたる女」姉妹住んでいました。しのぶずりの狩衣の裾を切って、歌を送りました。「かすが野の 若紫の すり衣 しのぶのみだれ 限り知られず」。これは源融の「みちのくの 忍ぶもぢずり 誰ゆへに みだれそめにし 我ならなくに」が元の歌です。昔は若いときからこんな風雅なしぐさをしたものです。
 第四段は歌がいいです。高校時代、ジーンと来ました。大后の宮(文徳天皇の母藤原順子)の屋敷の正殿(寝殿)の西に対屋に藤原高子が住んでいました。在原業平が躊躇している間に、高子は皇太子(後の清和天皇)の妻になってしまいました。その後、西の対屋を訪れた業平は「月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」と戻らぬ過去に涙したということです。
 第九段の冒頭の文がいいです。「むかし、おとこありけり。そのおとこ、身をえうなき(役に立たない)物に思ひなして、京にはあらじ(すむまい)、あずまの方に住むべき国求めにとて(友人数人と)行きけり」。三河の八橋というところに来た時、「その澤にかきつばたいとおもしろく咲きたり」。それを見た者が「かきつばとといふ五文字を句の上にすへて、旅の心をよめ」と言ったので、在原業平が次の歌を詠みました。「ら衣 つゝなれにし ましあれば るばるきぬる 旅(び)をしぞ思ふ」。これを聞いた人は皆涙を乾飯の上に落としたので、せっかくの昼食がふやけてしまったということです。
 隅田川を渡っている時に、京では見たこともない鳥だったので、渡し守に聞くと「これが都鳥ですよ」といったので、業平は次の歌を詠みました。「名にし負はば いざ事とはむ 宮こ鳥 わが思ふひとは ありやなしやと」。これを聞いた舟の中の人は残らず泣いたということです。
 第二十三段が最も印象に残っています。昔、都を離れて田舎で生計を立てているいる人たちがいました。そうした人たちの子どもの中に「井のもとに出でてあそびける」子どもがいました。大人になったので、互いに恥ずかしく思い、会うこともなくなりました。しかし、「おとこはこの女をこそ得めと思ふ。女はこのおとこをと思」っていました。だから、女の親が縁談をいくら進めても聞きません。ある時、井戸で遊んだ隣の男より手紙が来ました。それには「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」(要点は「あなたを見ないうちに私の背は井戸の囲いより高くなりました」)とありました。
 それに対する返歌には「くらべこし 振分髪も 肩すぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき」(要点は「あなたと比べあった髪も肩を過ぎるほど長くなりました。あなた以外の誰が髪を上げてくれるのでしょうか」)とありました。髪上げをする時期は結婚が前提となっている当時の風習です。そこで2人はめでたく結婚します。よかった!!
 その後、妻の親が亡くなり、夫は他の女の親から援助を受けるため、河内の高安の郡(今の大阪府八尾市)に通います。しかし、嫉妬する様子もなく、夫を送り出すので、夫は「妻に男がいるのでは?」と感じて、引き返します。案の定、妻は化粧して、外を見ています。夫ははてっきり男を待っていると思っていると、妻が次の歌を詠みました。「風吹けば 沖つ白浪 たった山 夜半にや君が ひとりこゆらん」
(要点は「白浪=盗賊が出るという龍田山を、私の夫は夜半に越えているのでしょうか」)
 これを聞いた夫は「限りなくかなし(いとしい)と思ひて、河内へもいかずなりにけり」。純愛ですね。
 在原業平の歌物語を何故『伊勢物語』と言うのでしょうか。これは皆さんもご存知だと思いますが、ここでもう一度おさらいをしてみます。第六十九段です。
 業平が伊勢に行ったときのことです。伊勢の斎宮(天皇即位の時、伊勢神宮で奉仕する処女のこと)である人の親が「この人(業平)よくいたはれ」と言ってきたので、斎宮家は業平を格別にもてなします。
 業平は斎宮を見て、どうしても「あはむ」(寝所を共にしよう)と思いました。斎宮もまたそう思いました。
人が寝静まった頃、斎宮は「ちひさき童をさきに立て」てやってきました。業平は「いとうれしくて、わが寝る所に率て入りて、子ひとつより丑三つまであるに(午後11時〜午前3時までいたが)」打ち解けて話もしない内に、斎宮は帰っていきました。
 しばらくして、斎宮から歌が来ました。それにはこうありました。「君や来し 我や行きけむ おもほえず 夢か現(うつゝ)か ねてかさめてか」(要点は「あなたが来たのか、私が行ったのでしょうか、夢か現実のことだったのでしょうか」)。業平にすぐに返歌をしました。「かきくらす 心の闇に まどひきに 夢うつゝとは こよひ定めよ」(要点は「私の心はかき乱されて、闇の中を惑っています。あれが夢か現実かは今晩確かめましょう」)。しかし、二人は会うことはありませんでした。斎宮とは文徳天皇の内親王でした。
若いときに読んだ本は忘れない!!
 今回この文章を書くに当って、昭和32年発行の岩波古典文学大系を手に取りました。高校時代に手にした本です。所々傍線が入っていました。高校時代読んだだけですが、印象に残った箇所や、感動した箇所、最も鮮明に印象に残った箇所が甦ってきました。
 教師になりたての頃、年配の先生に「本は若いうちに読んどきなさいよ。私の年になると、3分の1ほど読むと最初の部分を忘れてしまっているから…」と言われたことを思い出します。
 時々大学生が忠臣蔵の論文を書くということで、私の家を訪問することがあります。高校時代、大学時代に読んだ史料は、即座にその箇所を明示できますが、40代を過ぎてから読んだ本は、カードに記録しないと、さっぱり見当もつかなくなっています。
 高校生や大学生の諸君に、根気と集中力のある若い時にしか読めない古典をたくさん読んで欲しいと思います。

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