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エピソード

046_01

貴族の生活T(服装の歴史と女性の歴史)
 弥生時代の女性の服装は上は筒袖、下は(スカート)ですが、労働するのに不自由はありません。
 平安時代の美女の条件は、牛車からおり縁側を上がって屋敷に入っても髪の毛が残っていることが必須だったといいます。また十二単ではとても働けません。つまり平安時代の女性は男性に養われるという条件で、美を競っていたのです。中国では足の小さいのが美人の条件ということで、纏足という木の靴を小さい時に履かせたきりにしていたといいます。これでは、自立できません。十二単といい、纏足といい、男性優位時代の象徴といえます。
 江戸時代も、近代の戦前まで髪の長い人や着物が似合う人がやはり美女の条件でした。機械化された工場では、長い髪は機会に巻き込まれる不安がありました。この時代も男性優位の社会と言えます。
 職場の花と言われた時代は、男子から与えられた制服に身を包んでいましたが、ウーマンパワー以後女性は髪を短く、パンタロン、パンツスタイルで労働しています。女子の労働着の歴史は男子スタイルに移行する歴史でもあります。そのことで、自立できる女性の服装に戻ったと言えます。
女性は家庭に帰れと言うアナログ発想
 男女共同参画という言葉や事業があります。男女共同参画という言葉の造語は誰がしたのか、本当に共同参画は実現するのか。私はこの言葉に抵抗を感じます。
 私の昔の同僚に女性登山家がいます。男女共同参画を体験した唯一の人です。しかし、彼女は1週間で同僚のコーヒーの嗜好を覚え、時間がある度にその人に合ったコーヒーを入れてくれます。その理由を彼女は「気がついた人が、気がついた時に、気がついた事をするだけです」とこともなげに言う。出来もしないスローガンは要らないのです。
 坂本龍馬はペリー来航の時の通訳であった中浜万次郎を訪ねました。万次郎から聞いた話の中で特に印象に残ったのは、男女が街中を腕を組んで歩くということと、百姓のリンカーンが将軍(大統領)になったということを挙げています。こんなアメリカには勝てないとも言っています。
 その理由は男女は競い合うことで、社会はより高い次元に達すると読み取っています。リンカーンが大統領になったということも、激しい自由競争の結果ということを察知しています。
 つまり、男女が競い合うなかで、互いを認め合う。その自由競争が、社会の発展の原動力だと感じていたのです。女性を男性の言いなりにしようという発想と、坂本龍馬が考えた社会とは全く違っていることを、私たちは認識する必要があるのではないでしょうか。
 女性が強くなったとか、家庭を顧みないという議論が男性を中心に起きています。これは逆に言えば男性が弱くなったのです。強い女性と堂々と渡り合える男性が望まれているのです。そうでなければ、この過酷な、世界相手の、競争社会を乗り越えることはできませんよ。

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