print home

エピソード

048_01

荘園(不輸不入)の発達を自分の言葉で(U)
 開発領主は、中央の摂関家が私的欲求に目がないと見ると、攻勢をかけ、不輸(輸は税金を送ることで、不はその否定)の権を獲得しました。当時立券荘号という手続きにより租税が免除される制度がありました。
 こうした制度があるという情報も、地方の有力者は知っていたのです。太政官符太政官が出した証明書)や民部省符民部省が出した証明書)によって租税の免除が認められた荘園を官省符荘といいます。
 国司に税を納めなくてもいいのですから、税金を取るために調査にくる検田使の立ち入りも必要ありません。つまり不輸の権を獲得した段階で、不入(入は検田使地の立ちり調査で、不はその否定)の権も獲得した事になります。
 教科書や概説書が見落としていることがあります。それは武士の発生の記述です。「地方豪族や有力農民は、勢力を維持・拡大するために武装するようになり」(『詳説日本史』(山川出版社))というのが代表です。私はそれ以外の重要な要素があると思います。
 不輸・不入の権が確立したことで、あの貪欲な国司が黙っていたのでしょうか。多分様々な嫌がらせをしたはずです。当時軍事権・警察権を握っていたのは国司です。「泥棒が入った」「強盗に襲われた」と助けを求めても、「税金を払ってない者を守る義務はない」と追い返されたはずです。
 つまり、不輸・不入の権を獲得して独立した地方豪族や有力農民は、自分の生命・財産を自衛する必要があったのです。それが武士の発生の理由です。豊臣秀吉の兵農分離まで、武士は「いざ鎌倉!」という号令がでるまで、百姓仕事を続けていた背景もこれで説明できます。
家が完成すると、連絡もしていない市役所の人が来た!
 私たち夫婦は共働きということもあり、30歳で土地を買い、家を新築しました。10年ローンの短期決戦で苦労しましたが。これは余談でした。完成して間もなく、市役所の税務課の人が数人来て家の調査を始めました。壁をたたいたり、柱の太さを測ったり、庭の塀を見たりしていました。
 連絡もしていないのに、よく分かったものだと感心していましたが、家を新築する時「確認申請」を市役所に出していることを思い出しました。
 ある大工さんによると、「税務課の人が来るまで、壁は荒壁のままにしていたり、畳や障子を入れなかったり、庭も塀を作らない人もいますよ」ということでした。税務課の人は固定資産税をかけるデータを作成するために調査に来ているのだそうです。30歳の私には想像も出来ない世界があることを知りました。
 そんなことをして本当に効果があるかどうか、確認したことはありません。しかし、不輸・不入の権の時には、この話をすることにしています。

index