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エピソード

051_01

法皇の仏教崇拝と熊野三山
 天皇が譲位して上皇となります。上皇が仏門に入って太上法皇(略して法皇)となります。世紀末の現象として、競って寺院を造ります。法勝寺などという名のついた院を建立しました。これを六勝寺といいます。自己のために膨大な予算を注ぎ込みました。
 それでも足りないのか、熊野三山に参詣しました。その理由は、本地垂迹説浄土信仰が広がるにつれ、熊野本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、熊野新宮の速玉神は薬師如来、熊野那智の牟須美神は千手観音を本地(本体)とすると考えられるようになりました。そして、熊野本宮は西方極楽浄土熊野新宮は東方浄瑠璃浄土熊野那智は南方補陀落浄土の地と考えられるようになりました。その結果、熊野全体が浄土の地とされ、信仰の対象になっていきました。以下に熊野詣をした上皇は皇后などの名前と回数を書いてみました。 
上皇など 回数 上皇など 回数 皇后など 回数
宇多法皇 後白河上皇 34 待賢門院 13
花山法皇 後鳥羽上皇 28 美福門院
白河上皇 後嵯峨上皇 修明門院 11
鳥羽上皇 21 亀山上皇 七条院
崇徳上皇
 京都からは大坂(当時)を経由して中辺路を使って熊野に入るルートが一般的と言われています。京から熊野までは、紀伊路の中辺路を利用すると、往復約1ヶ月、距離にして往復約600kmです。
 随分探したのですが、書物では京都から滝尻王子までのルートが見つけられませんでした。幸い熊野古道がユネスコの世界遺産に登録されることになったということで、TVで様々な特番がありました。朝日テレビの「歴史街道」では、京都からのルートを丹念に放映していましたので、そこから紹介します。
 京都からは船で淀川を下り、天満橋近くの八軒家浜で上陸します。天満橋の窪津王子→坐摩神社→朝日神明社跡(坂口王子)→榎木大明神→四天王寺(熊野権現礼拝石)→堀越神社(熊野第一王子之宮)→阿倍王子神社→止止呂支比売命神社(後鳥羽上皇休憩所)→堺市の境王子跡→大鳥神社→和泉市の篠田王子跡→泉井上神社→貝塚市の南近義神社(鞍持王子・近木王子)→吉祥園寺(後鳥羽上皇昼食所)→紀伊田辺(口熊野)の出立王子(出立の浜で潮垢離)→三栖王子→滝尻王子(熊野への入り口)
 中辺路ルート:滝尻王子〜高原熊野神社〜(道の駅)〜牛馬童子〜近露王子〜継桜王子〜小広王子〜三越峠〜発心門王子〜伏拝王子〜熊野本宮大社
 または、三越峠〜発心門王子〜湯の峰温泉〜熊野本宮大社
 熊野本宮大社からは熊野川を船で下り、熊野川河口にある新宮(熊野速玉神社)に参詣すします。新宮(熊野速玉神社)からは再び徒歩で海岸線沿いを辿り、それから那智川に沿って那智(熊野那智大社)に参詣します。
 那智(熊野那智大社)からの帰りは、新宮から熊野川を遡って、熊野本宮大社に着きます。
 または、那智(熊野那智大社)の背後にそびえる妙法山に登り、大雲取越え・小雲取越えの険しい道を越え、熊野本宮大社に着きます。
 熊野本宮大社から中辺路を通って紀伊田辺に着き、大坂から淀川を遡って京都に帰っていきます。
世紀末を招来した者が率先して救済を求める、今世界遺産
 来世の浄土を現世に体験しようと人々は熊野詣をしたのでした。世紀末を招来した統治者自らが参詣する様は滑稽に見えます。
 その信仰は川を渡ることで死に、多くの鳥居をくぐることで浄土に生まれ変わり、熊野三山に参詣することで成仏する。そして同じ道を帰ることで、再び現世に帰っていくというものです。熊野三山には、この世を破滅に導くような人物をも受け入れる壮大な自然が存在していました。
 このスケールの大きさが世界遺産に登録される名誉を担ったのです。
 私も、3年生の卒業式を見届け、土・日・祝日を利用して、学年解散旅行と称して、レンタカーに載せてもらって、熊野三山へ行ってきました。圧巻は、那智の滝でした。多くの観光客がいたので、その悠久の世界には浸ることが出来ませんでした。
 最近は、歴史遺産に指定されたいうことで、熊野詣はブームだといいます。私は、ブームが去った後、静かに、じっくりと、何時間でもかけて、滝と対面したいと思っています。

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