print home

エピソード

053_03

平氏政権の性格
 平氏政権は最初の武家政権だけに、歴史的に過度期の性格を持っていることは仕方がありません。理想像や未来像を描くにしても、現在いる地点が基準になります。
 平清盛が武士でしたので、武士的な性格があります。清盛は各地にいる武士の一部を地頭に任命し、荘園や公領の現地を支配させています。ただ地頭の権利が弱く、本家の命に背くと交替させられる運命にありました。次いで、任地の多かった畿内から西日本を中心に、従者として家人化に成功しています。地頭・家人の制度は鎌倉時代の地頭・御家人制度のルーツになります。
 経済的基盤では、貴族が手を出さない危険で、利潤を大きい日宋貿易を推進しています。
 次に貴族的な性格です。清盛は律令組織をそのまま利用し、従一位太政大臣以下の官職を独占して支配を強化しています。
 もう一つ利用したのが外戚という立場です。天皇の外祖父としての地位を利用する方法です。清盛の娘徳子を高倉天皇の中宮として、その子安徳天皇を3歳で即位させているのがよい例です。
 経済的基盤では、知行国は30余国、荘園は500余ヶ所を数えます。
武士的分野では放任。貴族的分野では利害競合、それが貴族の反感
 以上見てきたように、貴族にとって平清盛が武士としての分を守っておれば、文句の言いようがありませんでした。
 しかし、外戚政策により貴族の特権を次々奪っていくと、貴族の不満が高まりました。これは当然です。
TVで皇室の報道番組がありました。戦後小泉信三氏の尽力で、皇太子に民間から皇太子妃が選ばれました。既得権を奪われた旧華族の婦人を中心に皇太子妃バッシングがありました。白くて長い腕ようの手袋をみて「あんなに短い手袋をして」とか、道行く人に車の窓ガラスを開けて挨拶すると「はしたない」とかがあったのを、その番組は伝えていました。 
 美智子皇后や雅子妃殿下が皇室にはいって未だ半世紀です。開かれた皇室とは、民衆に対しての言葉です。千数百年の間に培われて非民主的なものを民主化するには、それだけの時間がかかります。
 その番組で女性4人が討論していました。年配の2人はいいことを言ってるのですが、ぴんときません。それもそのはずです。結婚もしていなければ子どももいないのです。そんなフリーな立場の人が、伝統ある家の嫁の立場が分かろう筈もない。TV局のミスキャストです。
 その点、室町時代からの伝統を受け継ぐ狂言の和泉家に嫁に入った和泉節子さんの言葉が現実的でした。皇室といい、狂言師の家といい、長い伝統をもつ家では個人では考えられない様々なプレッシャーがあります。「その時は、黙って温かく見守って欲しい」という和泉さんの言葉にとても共感を覚えました。

index