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エピソード

054_03

絵巻物(『鳥獣人物戯画』・『信貴山縁起絵巻』)
絵巻物(『鳥獣人物戯画』)
 「絵巻物」とは「絵」を巻物にした作品です。厳密には「詞書」と「絵」を交互に書き、人物や場面を巻物形式で展開する美術作品のことです。左手で開き、右手で閉じていくことで、見るものを動画(動きのある作品)の世界に誘ってくれます。
 既に、応天門の変で『伴大納言絵巻』を紹介しました。ここでは、鳥羽僧正の『鳥獣人物戯画』(国宝)と『信貴山縁起絵巻』(国宝)を取り上げます。
 私が尊敬する一人である宮本常一氏の『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(中公新書)を参考に話を進めます。囲碁・双六・将棋>・耳引き・首引き・睨み合い・褌引き・闘鶏・闘犬の9場面が描かれています。後半は猿・兎・狐などが人まねをして遊ぶ場面が描かれています。
 これを見た宮本常一氏は「これらを人間におきかえてみると、当時の民衆の性格と行動をうかがうことができる。おっちょこちょいで、物見高くて、何か事件が起こるとすぐ駆けつけて見物する群衆、しかし決してその中へは巻き込まれない、いわゆる野次馬的存在なのである。それでいて、すぐ物真似してはしゃぎまわる。民衆の心理や行動を動物に托して描いたもので、民衆に対する批判が強く出ている」と述べています。
 次に、侏儒が曲物の桶の縁に立って横笛・鍍などに合わせて踊っている場面、法力競べ・流鏑馬・法要・球投げなど僧侶・俗人達の勝負している場面、掛軸の前で読経している僧が三人のうち、一人の僧は紙で鼻をかんでいる場面があります。
 これらを見て宮本常一氏は「当時の民衆はきわめて陽気であり、日常生活を戯画化しつつ楽しんでいたのではないかと思われる。そういう民衆生活を鋭い批判精神でとらえているのがこの絵巻であり…、貴族社会が有職や故実にしぱられて儀礼的な行動を主としていたのに対して、民間ではそれらを模倣しつつも戯画化して自分たちの生活に合わせて取り入れ、遊びとしていった」と書いています。
絵巻物(『信貴山縁起絵巻』)
 『信貴山縁起絵巻』は三部からなっています。第一部は「飛倉の巻」、第二部は「延喜加持の巻」、第三部は「尼公の巻」といいます。第一部の「飛倉の巻」が最も有名です。
 命蓮という僧が大和の信貴山にこもって修業を重ねていました。鉢を飛ばして、村里から食べ物をめぐんでもらっていました。ある日、山城国の山崎の長者の家に鉢を飛ばせました。長者はいつも施しものをしていましたが、この日は家人がうっかりして、この鉢を米倉の中に閉じ込めてしまいました。しばらくすると、鉢が倉の中から出てきて米倉の下にもぐり、空に舞い上がり、どこかへ飛んで行きました。長者の家の家人は空を飛ぶ米倉にびっくりし、長者も驚いて馬で米倉を追っかけると、米倉はは信貴山まで来て、ドサッと落ちました。長者は命蓮に「米倉を返し下さい」とお願いします。命蓮は「信貴山にはこのような倉がありません。中に入っている米俵はお返しします」と応えました。鉢が空に舞い上がると、倉の中の米俵が1俵づつ連なって、長者の家の方へ飛んでいきました。
 物語としては単純ですが、そこに描かれた人々の描写は、表現力に優れ、今見ても度がつくほど迫力があります。
 第二部の「延喜加持の巻」は、醍醐天皇が病気になった時、命蓮が毘沙門天の使者を遣わして剣の護法というで、醍醐天皇の病苦を治したという話です。
 第三部の「尼公の巻」は、年老いた命蓮の姉の尼公が、弟を尋ねて奈良にやってきました。そこで、東大寺大仏の夢告により信貴山に登り、弟命蓮と出会いました。そして、その後の余生を共にしたという話です。
絵巻物の発達と台頭する武士・庶民の感情
 この時代に絵巻物が爆発的に描かれたのは、武士や庶民の政治的・経済的台頭があります。
 毎日の労働で、専門的な学問も受けていないし、知識もありません。あるのは人間としての自然の情だけです。財もあり、政治的にも進出した武士や庶民は、自分たちが読んで理解し、楽しめる作品を求めたのです。
 そう考えれば、一連の絵巻物がエネルギッシュなタッチで描かれていることを理解できます。

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