055_01
以仁王の挙兵と源三位頼政 | |
1 | 1178(治承2)年、源頼政は、平清盛の推薦によって三位に昇進しました。三位の源頼政ですから、源三位頼政といいます。三位からを公卿といい、大臣クラスである。時に頼政は74歳でした。頼政が同族義朝を裏切ったため、平治の乱で清盛は勝利できたのです。 1179(治承3)年7月、父平清盛を諌めることが出来た唯一の息子平重盛(43歳)が亡くなりました。それに追い討ちをかけるように、機を見るに敏な後白河上皇は重盛の子に相続されるはずの知行国越前を没収しました。清盛と後白河との対立は抜き差しならぬ状況となりました。 11月、平清盛は、関白の藤原基房を解任して、後任に藤原基通を起用しました。同時に、平清盛は後白河法皇の近臣39人の官を解任しました。 11月、平清盛は、後白河法皇の院政を停止し、法皇を鳥羽殿に幽閉しました。これ以後、平氏一門の知行国が増加します。 |
2 | 1180(治承4)年2月、高倉上皇が譲位して、安徳天皇が即位しました。 3月、円城寺・延暦寺・興福寺などの大寺院の僧兵が、高倉上皇の厳島神社への参詣に反対をして挙兵しました。 4月、源三位入道頼政(76歳)が以仁王(父は後白河法皇、母は藤原季成の娘の藤原成子)の令旨(親王などが発した命令)を奉じて挙兵しました。大臣クラスにしてもらって、反旗を翻した頼政の本意はどこにあるのでしょうか。 |
3 | 『平家物語』には、源頼政の嫡子源仲綱が持っていた名馬(木の下)を平宗盛(父は平清盛)が異常な執拗さで奪い取り、この名馬を「仲綱」と名づけ、客に「仲綱をみせよう。仲綱を引き出せ」と侮辱したとあります。これを聞いた源頼政親子は「命生きても何にかはせん」と決意したといいます。 事実は源平迭立の思想が底辺にあると思います。 |
4 | 源頼政の計画では、東国の源氏に決起を呼びかけます。それに呼応して、畿内の反平氏勢力が決起する。そのためには、以仁王の協力が必要です。以仁王(30歳)は後白河法皇の第二皇子ですが、建春門院平滋子(平清盛の妻平時子の妹)に嫌われ親王の宣下もなく、不本意は毎日を送っていました。 |
5 | 4月9日、以仁王の令旨が発せられました。「下す、東海・東山・北陸三道諸国の源氏、ならびに群兵等の所、応に早く清盛法師ならびに従類の輩を追討すべきのこと」。この令旨は熊野新宮に隠れていた源行家(父は源為義)が伊豆の源頼朝(祖父は源為義)、木曽の源義仲(祖父は源為義)に伝えました。熊野にも伝えようとしたとき、「平家の重恩を天山に蒙」っている別当湛増が六波羅の平清盛にクーデタを報告しました。 |
6 | 5月15日、源頼政は、以仁王を園城寺に匿いました。 5月21日、平清盛は、平宗盛を総大将に平維盛・平資盛・平重衡ら平家一門、それに源頼政らを大将として、総攻撃することを決めました。 5月21日夜、源頼政は自分の態度を鮮明にするために、自邸に火を放ち、嫡子源仲綱・次子源兼綱を率いて園城寺に入りました。 |
7 | 5月25日、園城寺や延暦寺が平清盛に寝返りました。その夜、以仁王を奉じて源頼政は宇治の平等院へ逃げました。その数1000騎といいます。総大将平宗盛を2万8000の大軍で追います。 必死に防戦したが、衆寡敵せず、源頼政らは自刃して果てます。頼政の従者は敵に首を奪われないように、石のおもりをつけて、宇治川に沈めました。頼政の時世の句は「埋もれ木の 花さく事も なかりしに 身のなるはてぞ 悲しかりける」というものです。 以仁王は30騎ほどに守られて、奈良をめざしていました。光明山で平家軍に追いつかれ、矢の乱射を浴びて、その一矢に脇腹を射抜ぬかれて、落馬し、首を討たれました。 |
8 | 6月、平清盛は、安徳天皇と高倉上皇を奉じて福原に移りました。 8月、源頼朝が石橋山に挙兵しました。 |
+ | この項は『日本合戦全集』と『歴史群像』などを参考にしました。 |
一所懸命のため、同族が敵味方に別れて戦う。これが武士の習い | |
1 | 武士には「一所懸命」という言葉があります。現在「一生懸命」という表現になっていますが、これでは一生命を懸けるという意味で、何に命を懸けるのかが分かりません。「一所(土地)」に命を懸けるのです。それが武士の生き方・考え方の基本です。 |
2 | 先祖伝来の土地を守る方法として、同族が敵味方に別れて戦います。頼政は平治の乱の時、同族を裏切り、同族を捨てたと書かれています。しかし、武士の習いからすると、必ずしも非難には当らないのです。現在の生き方・考え方で、当時を推し量るのは、歴史的に正しくありません。 |
3 | 系図の説明(■天皇、■平清盛一門、■反平家で挙兵した人物) |
源 満仲 | ┳ | 源 頼義 | … | ………… | … | 源 為義 | ┳ | 源 義朝 | ┳ | 源 頼朝 |
┃ | ┣ | 源 為朝 | ┣ | 源 範頼 | ||||||
┃ | ┣ | 源 行家 | ┗ | 源 義経 | ||||||
┃ | ┗ | 源 義賢 | ━ | 源 義仲 | ||||||
┗ | 源 頼光 | … | ………… | … | 源 頼政 | ┳ | 源 仲綱 | |||
高階基章 | ━ | ━━娘 | ┗ | 源 兼綱 | ┏ | 平 維盛 | ||||
‖━ | ━ | 平 重盛 | ┻ | 平 資盛 | ||||||
┏ | 高見王 | … | 平 忠盛 | ━ | 平 清盛 | ┏ | 平 宗盛 | |||
┃ | ‖━ | ╋ | 平 知盛 | |||||||
葛原親王 | ┻ | 高棟王 | … | 平 時信 | ┳ | 平 時子 | ┣ | 平 重衡 | ||
┗ | 平 滋子 | ┗ | 平 徳子 | |||||||
‖ | ‖━ | ━ | 安徳天皇 | |||||||
藤原懿子 | ‖━━━ | ━ | 高倉天皇 | |||||||
‖━ | ━ | ‖━━ | ━ | 二条天皇 | ||||||
後 白 河 天 皇 | ||||||||||
‖━ | ━ | 以仁王 | ||||||||
藤原良房 | … | 藤原師輔 | … | 藤原季成 | ━ | 藤原成子 |