NO.055
第四章 武家社会の形成
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
[1]
鎌倉幕府の成立
1]
源平の争乱(年号より*E
[1 ・ ]
の乱ともいう)
1
背景−*A
「2 」
(最初の武家政権創立者)専制にたいする不満
イ
平氏全盛も長く持続せず
ロ
地方武士団・都市の貴族・大寺院−清盛の専制に対する不満が高揚
2
経過
[3 ]
(治承4)年
3月
園城・延暦・興福寺等大寺院の僧兵、高倉の厳島社参に反対して挙兵
4月
E源三位入道*A
「4 」
(76才。玄祖父多田源氏頼光)挙兵
@*A
「5 」
(30才。父後白河)のD
[6 ]
(皇后・皇太子・親王が
発する命令)を奉じて
AB源行家(父為義)が全国伝達B園城寺・興福寺、頼政に応じ挙兵
5月
頼政・以仁王、宇治平等院で敗死
6月
清盛(63才)、*B
[7 ]
(古代からの良港大輪田泊のある平氏の拠点)へ
遷都を強行
@後白河法皇・高倉上皇・安徳天皇も同行
A畿内中心に支配体制を確立し、反平氏勢力に対抗
8月
*A
「8 」
(34才。父義朝)、伊豆の国衙を襲撃
@反平氏の諸勢力のうち、最有力は頼朝のもとに結集した東国武士団
A頼朝−武家の棟梁の家柄で、源氏の嫡流
同
D
[9 ]
の戦い(大庭景親に敗退した戦い)→安房へ敗走
9月
後白河(42才)、
「源氏追討」
の命令
同
*A
「10 」
(27才。父義賢。伯父義朝)、木曾谷で挙兵
同
各地の武士団も相次ぎ挙兵→新しい体制を要望
@全国的な内乱
A地方武士−国司や荘園領主に対抗して所領の支配権強化・拡大希望
10月
頼朝、*A
[11 ]
(頼義以来の故地)に入る
同
C
[12 ]
の戦い(B平維盛(23才。父重盛)を破った戦い)
同
上洛しょうとする頼朝をE千葉常胤がいさめる→新政権の樹立に努力
11月
A
[13 ]
設置(御家人統率機関。C別当B
「14 」
)
同
大寺院や貴族の動きに対応→再び京都へ遷都
12月
A
[15 ]
寺(聖武天皇発願の寺)など、源氏に味方する
同
B
「16 」
(25才。父清盛)、東大寺放火→庶民、源氏に味方
1181年
閏2月
清盛(64才)、没→宗盛(清盛次男)、跡を継ぐ
[17 ]
(寿永2)年
5月
E
[18 ]
の戦い(義仲が平維盛を破った戦い)
7月
義仲、入洛→平氏、A
「19 」
天皇(6才。父高倉)を奉じ都落ち
8月
後鳥羽天皇(4才。父高倉)、即位→安徳と二朝時代
閏10月
後白河、義仲と対立→寿永の宣旨(頼朝の東国支配権を事実上承認)
1184年
1月
*A
「20 」
・*A
「21 」
(26才)兄弟(父義朝)、入洛
同
義経、粟津の戦いで、A
「22 」
(31才)を殺害
2月
B
[23 ]
の戦い(義経が摂津で平氏を破った戦い)
同
B平忠度(父忠盛)やE熊谷直実の活躍
同
後白河、義経の昇殿許可
10月
頼朝、行政機構整備
@A
[24 ]
(政務を行う機関)→のちの政所
AA
[25 ]
(訴訟裁判機関)設置
[26 ]
(寿永4)年
2月
B
[27 ]
の戦い(讃岐での戦い)
3月
*A
[28 ]
の戦い(長門で義経らにより平氏滅亡)
@B宗盛(父清盛)斬殺、B智盛(父清盛)・C経盛(忠盛)入水
A二位の尼(徳子の母)、安徳を抱いて入水
B徳子(31才)、大原寂光院へ
正解数( )問/問題数(28)問=正解率( )%