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エピソード

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源頼朝の死と、北条時政・北条政子・北条義時
 1147(久安3)年、源頼朝(父は源義朝、母は熱田神宮宮司藤原季範の娘)が生まれました。
 1159(平治元)年、平治の乱で父源義朝と兄源義平が殺害されました。
 頼朝は平清盛の継母池禅尼の嘆願により九死に一生を得て、伊豆の蛭小島に流罪となりました。時に13歳です。その間、伊豆の豪族北条時政の娘北条政子と結婚します。
 1180(治承4)年、源頼朝は以仁王の令旨に応じて挙兵します。時に34歳です。21年間の雌伏していたことになります。どんな思い、どんな生活、をしていたのでしょうか。
 1183(寿永2)年、後白河法皇が源頼朝に「源義仲追討」を命令した時、頼朝の東国支配を認めることを条件に追討を受諾します。これがいわゆる寿永の宣旨です。
 1185(文治元)年3月、源義経壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼします。
 11月、後白河法皇が源頼朝に「源義経追討」を命令した時、頼朝の守護・地頭の設置を認めることを条件に追討を受諾します。
 1189(文治5)年、源頼朝は源義経を自害させた奥州藤原氏を滅ぼします。
 1190(文治6)年、源頼朝は後白河法皇より右近衛大将・権大納言という官職を与えられますが、即座に辞退しています。
 1192(建久)年、源頼朝は征夷大将軍に任命されます。時に46歳です。この官職は坂上田村麻呂・藤原忠文・源義仲についで4人目です。頼朝はこの官職を引き受けます。征夷大将軍は蝦夷征討の臨時の将軍でしたが、やがて武士の統率者としての地位を示すようになっていたのです。
 源頼朝には挙兵以来「武士の 武士による 武士のための政治」を目指していたことが分かります。武士のためには立派な偉業を達成しましたが、私的には、源範頼・源義経ら自分の弟を殺すなど非情な選択をせざるを得ない場面もありました。
 1199(建久10)年1月、源頼朝は落馬のケガが元で、亡くなりました。時に53歳です。
 前年、頼朝は稲毛重成の亡き妻の追善供養のため、相模川に掛けた橋が落成したので、その記念式典に出席ししました。その帰りに、源頼朝は落馬して大ケガをしました。ある人は怨霊に驚かされたと言い、ある人は脳出血を起こしたためと言います。
 1199(建久10)年1月、独裁者源頼朝が急死して、嫡子源頼家が将軍となります。時に17歳です。
 4月、母北条政子は息子源頼家が訴訟を裁定することを止めさせ、13人の合議政治にしました。13人のメンバーは政子の父北条時政と兄北条義時、有力御家人では三浦義澄和田義盛梶原景時ら、貴族出身では大江広元三善康信らで、鎌倉幕府創建の功労者です。やっと、源頼家の妻の父比企能員が頼家派として入るだけです。
 この処置に激怒した源頼家は、ある境界争いの裁判に当って、絵図面の中央に墨で黒々と線を引きました。そして、「土地の広い狭いは運次第だ。これからもそのように裁定する。不服ならば、次からは訴訟をおこさぬがより」と言い放ったといいます。頼家の無念さがよく伝わってきます。
 強引に将軍源頼家の実権を奪った北条政子とはどんな女性でしょうか。
 北条氏のルーツは平貞盛です。貞盛は940(天慶3)年に平將門の乱を鎮圧した人物で、その祖は桓武平氏です。貞盛から数えて六代目が平時家で、伊豆の北条荘に住むことになって、平北条時家と呼ばれるようになりました。
 この北条時家の孫が北条時政です。時政の子が北条義時です。時政の娘が北条政子で、彼女は結婚式の時、雨の中を抜け出して、頼朝の所へ走った強気で一途な女性です。
 源頼朝の死後、誰が一番実権を握ったかというと、北条義時です。義時は源氏から政権を平氏に奪い返そうと、政子の結婚の時から決意していた節があります。これについては別項で述べます。
 この項は『日本合戦全集』と『歴史群像』を参考にしました。
後継者を育てるのも、創業者の務め
 頼朝は武士の政権を樹立した点では高く評価できます。しかし、創業するために人事を尽くして、後継者を育てる余裕がありませんでした。これが頼朝家の悲劇です。
 実力と識見があり、行動力が抜群であるから、創業者になれたのです。エネルギッシュな創業者からすれば、自分の子どもは頼りなく見えます。当然です。「未だ自分の仕事の手伝いは無理だ」と思っている間に、創業者が亡くなります。
 その後継者は創業者から「未だ無理だ」とレッテルを貼られ、劣等感にさいなまれています。そんな人に大事業が回ってきても、なんら対処できません。当然です。
 足利尊氏や徳川家康は、権力にしがみつかず、若い後継者に「若いから失敗するのは当然だ。どんどんやって、そこから色々なことを、自分が生きている間に吸収しなさい。自分が死んだ時には、立派な二代目になりなさい。今はその準備期間なんだから」と言って、ノウハウを教えたといいます。
 他方、豊臣秀吉や織田信長は、疑心暗鬼で次々と肉親を殺害したり、遠ざけたりしています。
 現在、企業の創業者で立派な方がたくさんいます。私は、後継者をどう育成していくのかという別な視点で楽しんでいます。
系図の説明(天皇、平清盛、将軍、北条氏一族)
桓武
 ‖━ 平高望 貞盛 維衡 正度 正衡 正盛 忠盛 清盛 重盛
多治比 惟将 惟時 直方 聖範 時信 時方 時家 時政 義時
政子
棟 貞 ‖━ 頼家
  ‖━ 源満仲 頼信 頼義 義家 義親 為義 義朝 ━━━━━━━━━━━━━ 頼朝
清和 比企能員 ━━

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