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NO.060 第四章 武家社会の形成 

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

[2] 執権政治
1] 北条氏の台頭
背景
頼朝
@ 幕府創立の原動力となった東国武士団の意向を吸収
A 将軍独裁体制で政治を運営
系図
@ 平貞盛−□−維時−上総直方−□−伊豆介時家(伊豆北条氏)−□−時政−義時(別名=徳宗→得宗家)
A 分家筋−名越、金沢、赤橋、大仏
経過
1199年 1月 頼朝(53才)、没エピソード
*A「1    」(17才。父頼朝)、将軍史料
4月 *A「2    」(62才。娘*A「3    」(43才)=頼朝の妻)、将軍の専決停止→
幕府の主導権をめぐるはげしい争いが続き、伊豆出身の北条氏の勢力が伸張
13人の合議制
@公家出身−B「4   」(52才)・B「5   」(60才)
A有力御家人−北条時政、義時(37才)、D三浦義澄、和田義盛(53才)、
比企能員、梶原景時、E八田知家など
12月 景時、E結城朝光を非難→頼家の反発をうけ失脚エピソード
1200年 侍所別当D「6    」の乱(三浦氏に排斥され挙兵した事件)史料
[7   ](建仁3)年 9月 「8    」(頼家の妻の父)の乱史料
@一幡(父頼家)は関東支配、千幡(父頼朝。のちの実朝)は
関西支配という時政の決定
A比企氏が反発
*A「9    」(12才。父頼朝)、将軍史料
北条時政、頼家を幽閉→時政(66才)、政所別当(執権ともいう)
1204年 北条時政、伊豆のD[10    ]寺にて頼家(23才)を暗殺
1205年 6月 「11    」の乱(子のE重保と共に北条氏と戦った事件)史料史料
閏7月 時政の陰謀(妻E牧の方と謀り娘婿E平賀朝雅の将軍擁立事件)発覚
時政(68才)、引退
*A「12    」(43才。父時政)、政所別当
1213年 5月 侍所別当B「13    」の乱(和田合戦)
政所別当義時、侍所別当を兼任
@*A[14    ]政治の確立
A幕府の実権をにぎり、以後その地位は北条氏の間で世襲
12月 実朝、藤原定家に師事
@『金槐集』(鎌倉槐門(大臣)の歌集)完成
A宋人陳和卿のすすめで渡宋を計画
1218年 後鳥羽上皇(39才)、実朝(27才)を右大臣に任命
1219年 1月 「15    」(20才。父頼家)、A「16    」を暗殺エピソード
義時(57才)、E三浦義村邸で公暁を殺害
解答

正解数(   )問/問題数(16)問=正解率(    )%

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