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惣領制と分割相続 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 一族を率いる惣領が中心となって庶子を統制・支配する家族制度を惣領制といいます。幕府は惣領制を御家人支配の基盤としていました。ここでいう御家人とは惣領のことです。 幕府は惣領と御恩・奉公による主従関係を結び、間接的には庶子をも支配しました。惣領の統制権は強く、庶子が惣領の意に反した場合は、所領を取り上げることもありました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2 | 将軍と主従関係を結んだ惣領(御家人)の任務は庶子を統制し、本領安堵や新恩給与で得た土地を一族に分配しました。 惣領の家を本家といいます。庶子家の惣領を分家といいます。下図では、■の部分です。 本家と分家で構成された組織を一門とか一家と言います。下図では、■で囲まれた部分です。 本家の下に、分家の下に、郎党や下人・所従がいます。 郎党とは、上級武士に随従する下級兵士のことです。郎等・郎従ともいいます。田・名主の出身者が多い。家子と並称され家人ともいいます。 下人とは、荘園内で、佃などの直営地を耕作している下層農民です。主人の屋敷に住み、家内奴隷的な扱いを受け、世襲や売買の対象とされていました。中世後期には、次第に独立します。 所従とは、名主の下に隷属した下級農民です。武士団成立後は、下級武士に成長しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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4 | 惣領制で最も重要な土地の分配を見てみましょう。豊後国守護の大友能直の土地は嫡男大炊助入道には相模の大友郷が与えられました。宅万別当と八郎には志賀村73町、九郎入道には下村100町、大和太郎と女子の美濃局には上村51町、女子の帯刀後家と犬御前には中村76町が与えられました。2人で同じ町を所有しているのは、地頭職の半分を分割しているのです。 こうした土地支配を分割相続といいます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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6 | 如何に分割して相続させるかは、惣領の力量です。常に威厳と実力を兼ね備えていないと、惣領は勤まりません。そこが幕府の狙い目でもあったのです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
* | この項は、『日本史B用語集』『日本史総覧』などを参考にしました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
経済力と女性の自立 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 鎌倉時代には尼将軍政子や木曽義仲の愛人巴御前のような、男を相手に一歩もひるまない女性がたくさんいました。鎌倉時代は女性にも分割相続があったのです。女性に経済力のなかった平安時代や江戸時代と比較しても、歴然としています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2 | 私は、経済力を持つ女性は自立的であると思っています。専業主婦の役割を軽視するわけではありませんが、経済力を持たない女性がいくら平等を説いても、いつも養ってもらっている男性の影があり、力はありません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3 | 他方、経済力がある女性は、男性から自立しています。男性も自立している女性から尊敬されるよう、心身を磨く必要があります。お互いが切磋琢磨することで、平等な社会を形成できるのでする。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4 | 最近の傾向は、経済力があり、自立して強い女性が目立ちます。国会議員の中には「女性は家庭に帰れ」と叫ぶ人もいます。そうではなくて、強い女性と対等に渡り合える男性が少なくなっているのです。「もっと男性よ、心身を鍛え、女性と対等に渡り合え」と叫びたいです。 自立している女性を統制する逞しい惣領が、鎌倉時代にはいたのです。 |