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エピソード

067_02

悪党とはどんな人?
 悪党は「特に悪い」という意味で、は「集団」という意味です。つまり、特に悪い集団という意味です。しかし、自分たちのことを「悪い集団」とは言わないので、誰かが名づけたものです。
 では、悪党と名づけたのは誰で、どんな集団が悪党と呼ばれたのでしょうか。そして、何故悪党が発生したのでしょうか。
 まず、史料から見てみましょう。
 1232(貞永元)年、『貞水式目』が制定されました。その第32条では盗賊や悪党を所領内に隠し置く事を禁じています。
 1258(正嘉2)年、幕府は追加法令を出しました。そこには「国々悪党蜂起せしめ、夜討・強盗・山賊・海賊を企つるの由、其の聞こえあり」となっています。
 1314(正和3)年、『峰相記』はこの頃を様子を次のように書いています。「当国(播磨)は殊に悪党蜂起の聞こえ候」「国中ノ上下過半俗等(悪党)ニ同意スル間」「ハタシテ元弘ノ重事(建武の新政)出来ル」
 次に具体的な事例を見ていきたいと思います。私の住んでいる相生市には、代々皇室領として相続されていた矢野荘があります。矢野荘の荘官が寺田法念といい、現在の寺田という地名が存在します。
 法念は、開発領主秦為辰の子孫で、鎌倉時代は将軍と主従関係を結ぶ御家人でした。法念は隣村の坂越浦にある大避神社の別当職にも任命されていました。
 この頃、矢野荘には源義家以来という名門海老名氏地頭として赴任してきました。そして、領家の代理人である藤原氏と所領拡大をめぐって争っていました。法念は藤原氏を援助して、地頭海老名氏と戦い、海老名氏の荘園侵略を防ぎました。その功により土地の一部を所有することになりました。
 しかし、矢野荘の例名東寺に寄進されました。東寺は法念の荘官職を停止し、功により得た土地の一部の所有を認めませんでした。
 1314(正和3)年9月、法念は一族郎党を率いて矢野荘別名に侵入し、財物は略奪し、殺害・放火を行いました。新しい荘園領主の東寺の訴えで、「法念追討」の院宣が出されましたが、幕府の反応はありませんでした。巨大荘園領主東寺からすると、言うことを効かない「悪党」と見えたのでしょう。
 1315(正和4)年、法念の略奪は続きました。法念に非法に参加した「悪党」の名簿が残っています。坂越地頭飽間泰継、那波浦地頭海老名孫太郎、下揖保荘地頭周防弥三郎入道などです。
 私の住んでいる兵庫県の小野市の大部荘でも悪党が活躍してます。
 1294(永仁2)年、大部荘の荘官である垂水繁昌は荘園領主である東大寺に納める年貢300石を横領して、荘官を罷免されました。怒った繁昌は大部荘の年貢や百姓の財物を奪い取りました。
 1295(永仁3)年、大部荘の百姓が前の荘官であった垂水繁昌の追放を東大寺に訴えました。東大寺は幕府から「繁昌追討」の御教書を受け、近在六カ郷の地頭に繁昌の逮捕を依頼しました。しかし、地頭の代表がそのようなことは「跡形なきうそ」であり、そのような人物は「未見の仁」と回答しました。この中に河内楠木入道という名が見えるので、楠正成と関係がある人物ではないかと言われています。
 東大寺という巨大荘園領主が鎌倉幕府の公式の逮捕状を得ても、何も出来ませんでした。そこで、彼らを「悪当」と呼びました。
 荘園領主が自分の命令に従わないものを「悪党」と呼んだと言うことまでは、突き止めました。では、この「悪党」がどうして生まれたのでしょうか。
 ここに、有名な『高野山領『阿弖河庄上村百姓等言上状』(1275(建治元)年)があります。一部漢字のたどたどしいカタカナ文です。要点は高野山へ納める税金の材木の納入が遅れている言い訳です。その理由に地頭の非法の数々を列挙しています。全文はプリント日本史の本文を参照してください。
 今、これを額面どおり受け取る人はいないでしょう。荘園領主を力がないと見た自立する百姓の抵抗の文章です。
 ある時は合法的なサボタージュ、ある時は非合法な逃散を繰り返し、現地の荘官と激しく対立します。現地の荘官は将軍と主従関係を結んでいる御家人の場合もありますし、有力農民から実力でのし上がった名主(新興武士)もいました。
 混乱した時代、財産がある百姓は武装します。そうした百姓を新興武士といいます。御家人ではありません。非御家人です。
 自立する農民と戦う御家人、実力でのし上がった新興武士も安定を求めていました。
 しかし、当時は得宗専制政治の時代です。おもな就職先は北条氏が独占しています。
 元寇の影響もありました。非御家人を動員することで、それまでの御家人制度が動揺したことです。
 そこで「悪党」を定義すると、古い秩序では収容できない、新しい社会を求めた武士(武装集団)と規定できるのではないでしょうか。
 実際、室町幕府の追加法のなかには、「悪党」の取り締りの項目は見当たりません。「悪党」を取り込んだシステムである守護領国制が誕生していたのです。
レッテルはりは危険
 最近のTV討論で見かける光景があります。相手の発言を封ずるのに、今バッシングを受けている国、集団、個人を引き合いに出して、「その発言は■■と同じだ」とか「あなたの団体は以前から■■から支援を受けていた」と言います。
 指摘を受けた側は、合法的な国や団体を否定できません。個人とは面識もありません。反論がどうしても抽象的になります。すると、見ている側は「やはりこの人は■■と関係があるのだ」と、先入観でその人を判断してしまいます。
 こうした傾向は、段々顕著になってきているようです。
 戦前、「アカ」というレッテルが反対派を弾圧するのに効果的に使用されてきました。
 その図式はこうです。「アカ」=「恐い団体」とイメージを植えつけます。「戦争反対」は正しい主張です。しかし、「戦争反対」は「アカ」の主張で、お前は「アカ」だ。お前は恐い団体に所属している。こうして世論から「戦争反対」が消えていったのです。
 以前にも書きましたが、人の価値観は多種多様で、相対的です。だから面白いのです。左翼・右翼も相対的なものです。川下から見れば東は右、西は左と信じていました。
 瀬戸内海に生まれ住んでいた私は、川の水は北から流れてくるものだとばかり思っていました。しかし、日本海へ行った時、川の水が南から北に流れるのを見て、びっくりしました。右が西で、左が東でした。
 太陽が昇るのが東、太陽が沈むのが西、これは絶対的な真理です。この物差しが必要なのです。

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