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エピソード

072_02

『新古今和歌集』
 高校時代、古歌である「田子の裏ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りつつ」を本に、「田子の裏に うち出でみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」という新古今の名歌が誕生したと教えられました。
 「浦ゆ」と「浦に」の相違についても、教えられました。「ゆ」は経由の体験を、「に」はただの結果を意味し、古歌が現地に行って言って歌っているのに、新古今は想像で歌っている、というような話だったと思います。
  私も、家族4人で、富士登山をする前に、田子の裏ならぬ、三保の松原で有名な吹合ノ岬に出たことがあります。松並木に頭上を覆われて、浜辺で出た瞬間、視界が開けました。そして、岬の先端に出た時に、富士山が眼前に迫ってきました。中央に富士の山は右は海、左は松林を従えるようにそびえていました。「ああ、これが、”ゆ”なんだ」と確信しました。 
 『新古今和歌集』の「仮名序」の冒頭の部分です。
 「やまとうたは、昔あめつち開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時…伊勢の海きよき渚の玉は、ひろふとも尽くることなく、泉の杣しげき宮木は、ひくとも絶ゆべからず。ものみなかくのごとし。うたの道またおなじかるべし。これによりて右衛門督源朝臣通具、大蔵卿藤原朝臣有家、左近中将藤原朝臣定家、前上総介藤原朝臣家隆、左近少将藤原朝臣雅経らにおほせて、むかしいま時をわかたず、たかきいやしき人をきらはず、目に見えぬ神仏の言の葉も、うばたまの夢につたへたる事まで、ひろくもとめ、あまねく集めしむ」
 『新古今和歌集』の「真名序」の冒頭の部分です。
 「夫和歌者、群徳之祖、百福之宗也。…仍、誥参議右衛門督源朝臣通具、大蔵卿藤原朝臣有家、左近衛権中将藤原朝臣定家、前上総介藤原朝臣家隆、左近衛権少将藤原雅経等、不択貴賤高下、令拾錦句玉章」
 私の印象に残っている歌です。
 「見渡せば 山もと霞む みなせ川 夕べは秋と 何思いけん」(後鳥羽上皇)
 「見渡せば 花も紅葉も なかりせり 浦のとまやの 秋の夕暮」(藤原定家)
 技巧的で、洗練されていて、美しい絵葉書を見る感じですが、力強さや感動は伝わってきません。現実の体験ではなく、頭の中で作り上げた空想の世界だからでしょうか。
 『新古今和歌集』の勅撰を命じた後鳥羽上皇は、承久の乱(1221年)の敗北により、隠岐に流されましたが、編集を続けたといいます。政治的に無力なった貴族が、過去の栄華を歌で表現使用としているのでしょうか。
農村的『万葉集』、都会的『新古今和歌集』
 「田子の裏に…」は山辺赤人の歌で、『古今和歌集』に収録されていることが後で分かりました。しかし、『万葉集』と『古今和歌集』と『新古今和歌集』の違い・特徴は、この勘違いのお陰で、よく理解でしました。
 『万葉集』が農村の素朴さなら、『古今和歌集』を手本とした『新古今和歌集』は都会的な洗練された極にあり、貴族文化の落日の最期の輝きという感じがします。

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