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エピソード

083_01

惣村の形成と土一揆(自分の言葉でまとめると)
 または惣村について、教科書では「鎌倉時代の後期、近畿地方やその周辺部につくられたあたらしい形の農村は、南北朝の動乱のなかでしだいにはっきりその姿をあらわしはじめ、各地方に広がっていった。このような、農民たちがみずからの手でつくりだした、自立的・自治的な村を惣とか惣村という」(山川出版社『詳説日本史』)と定義されています。
 教科書的というか、経済史を鳥瞰的に見ているというか、客観的に記述しようとすれば、上記にようになってしまうのでしょうね。私は、経済史に、血肉を与えたいと、常に思っていました。過去の記述も、その視点で貫いています。
 「鎌倉時代の後期」に、「近畿地方やその周辺部」で、どうして「あたらしい形の農村」が「つくられた」のでしょうか。鎌倉時代後期とは、農民が苦労して牛馬耕を行いました。その結果、二毛作が可能となりました。余剰人員が、手工業や商業に手を出した時代です。こうして富を入れた農民とは、創意工夫に満ちた独立心の強い、自主性のある人といえます。
 同時に、鎌倉時代後期は、戦乱の打ち続いた時代です。自主性に富んだ富裕な農民は、自分達の生命と財産を守るために自衛します。時には、荘園領主や幕府の地頭とも戦いをします。彼らは悪党ともいわれました。室町時代になると、悪党は守護大名や地頭として中央に進出します。
 ここで取り扱う人々を、私は「遅れてきた(または、乗り遅れた)悪党」と定義しています。
 彼らは、「南北朝の動乱」期に、どうして「はっきりその姿をあらわしはじめ」たのでしょうか。
 農民は、二毛作を維持するために、肥料用として村共有の山野(入会地)を大切にします。「農業は太陽と水との共存」というほどですから(私の説)、川や小川や溝の管理は重要です。山野や川などは、行政区域(支配単位)の荘や郷を越えて存在します。「田植えは山から海へ、取り入れは海から山へ」という言葉があるように、「」を組んで一揆に行います。このような強力なリーダーの元に、集落(生活単位)を巻き込んで成立した自然村(自治的単位)を、私は惣村と理解しています。
 近江の惣村である今堀は、日吉神社を中心に、中出・東出・茶屋出の3集落から構成されています。
 兵庫県にある宍粟郡で、祭礼を調査している時、「昔は、神社の本殿がある玉垣の中には、氏子以外は入れなかった」と聞いたことがあります。
 兵庫県にある赤穂市で、祭礼を調査している時、「頭人を出した家では、1ヶ月、自分の家を開放して、無礼講で、飲み食いさせたものだ」と聞いたことがあります。
 これも兵庫県にある姫路市で、祭礼を調査していた時、トラブルが起こりました。神事をしていた宮総代が「すぐ引き上げろ!」と一喝すると、褌姿の酩酊している男衆が、全員従っているのを目撃しました。
 この話から、私は、「宮座」のリーダー(ここでは宮総代)は、多くの人の尊敬を受けていなければ務まらないと感じました。尊敬を受けるための条件は、知識があり、財力があり、その上、危機管理能力があり、それらを総合する指導力、それらが必要だと思いました。
 宮座のリーダーを乙名沙汰人といいます。また、神事と結を通じて、集団が守るべき様々な規則(村掟惣掟)を作り、違反した場合、農民(地下)自身が裁く(査して判)という地下検断をします。
 また、年貢も領主の代官や地頭を排除して、農民自身が請け負うようになりました。これを百姓請とか地下請とかいいます。
 南北朝の動乱期になると、宮座のリーダーを中心に、自分たちの抵抗運動を効果的にするために、周辺の惣村と連合する必要が出てきました。こうした惣村の連合を、惣郷惣荘といいます。
 京都の山科7郷は、荘園領主が異なる7つの郷で構成されていました。7つ郷は、それぞれ惣村として
「寄合」を開くと同時に、その連合として惣郷を結成していました。動乱期には、「大寄合」を開いたといいます。
 富を持ち、独立心が強い農民が結合して結成された惣郷・惣荘では、非法代官の罷免を求めたり、水害・干害時の年貢の減免を求めたり、様々な抵抗を試みています。その方法も、愁訴(嘆願)・強訴(集団訴訟)・逃散(耕作を放棄して山野に逃げ散る)・一揆(集団武力行動)に拡大・強化されていきます。
 一揆などの集団武力行動になると、以前のような、宮座のリーダーでは務まらなくなりました。新しいリーダーの誕生です。それを土豪といいます。
 土豪の中には、守護大名と主従関係を結び、新しい秩序に組み込まれる者も出てきます。彼らを地侍といいます。
専門分野以外でも説教をするコメンテーターが日本を滅ぼす
 祭の盛んな地域では、宮総代を勤めなければ、選挙に勝つことは出来ないと聞きました。知識があり、財力があり、その上、危機管理能力があり、それらを総合する指導力、それらが必要だからです。
 今の大企業のリーダーは、学閥や派閥という組織にうまく対応した中から誕生すると聞いたことがあります。平和時のリーダーは、組織の論理を活用すれば、切り抜けられるでしょう。
 しかし、今は乱世の時代です。知識でなく、智恵のあるリーダーの出番です。
 最近(2004年9月)、プロ野球のストライキ関係で、TVを見る機会が増えました。
 ある若手弁護士(茶髪の弁護士と言われているらしい)の切れのよい発言が、印象に残りました。彼があちこちの番組に出たことで、あることに気がつきました。彼は、高校時代に、ラグビーで全国大会にも出場し、高校ジャパン候補にもなった文武両道の弁護士です。知恵のある弁護士だと思っていました。
 ところが、ある番組で、「ある歴史教科書に神話があって、とても楽しかった。もっと、多くの学校で採用して欲しい」という発言をしていました。歴史教科書は科学に基づいて編集されています。神話はロマンです。つまり、国語の分野です。
 あることに気がついたということは、こういうことです。この番組以外でも、コメンテーターという訳の分からない人物が登場しています。この人らの発言を聞いていると、自分の専門分野については、主義に基づき自説を主張しています。これは当然です。しかし、自分の専門分野以外にも専門家ぶって喋っていますが、見当はずれのことが多い、ということに気がつきました。
 「日本をダメにしている元凶は、こういう人たちだ」ということが、よく分かりました。

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