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エピソード

088_01

室町時代の商業の発達(六斎市、振売、座)
  生産力があがると、余剰人員が出てきます。進んだ考えの家では、口先の器用なものは、商業に進みます。様々な分野で、商業が発達しました。
 鎌倉時代、月に3回の定期市が開かれました。三斎市といいます。室町時代には、月に6回の六斎市が開かれました。月に6回とは、2、7、12、17、22、27の日です。5日に1回ですから、夏の土曜夜店より頻度が高いということになります。
 回数が増えたということは、売るための品物(商品)が増えたということです。売れる商品を工夫して生産する人がいるということです。そして、商品を買う人が増えたということです。商品を買う余裕がある人が増えたということです。
 定期市を利用できる人ばかりではありません。5日1回では、新鮮な野菜・魚は売れません。定期市に遠い人は、売ることも、買うことも出来ません。そこに目をつけた人々がいました。それが、連雀商人振売です。
 連雀とは、物を背負う道具(背負子)のことです。連雀商人とは、背負子に商品を入れて、売り歩く行商人のことです。振売は、天秤棒の両端からつるした籠に商品をいれて、籠を振って、売り歩く行商人のことです。
 権利を獲得するために、手工業者は、という同業組合を結成しました。前回、別の項で述べました。ここではもう少し詳しく述べます。
 座のメンバーを座衆といいます。座衆は本所(公家や寺社)に様々な税を上納します。この税のことを座役といいます。役は「ヤク・エキ」とよび、本来は労働税のことです。税の上納の代わりに、本所は、自分の諸領内での独占的な購入・販売を認めます。
 この関係で有名なのが、大山崎の油座です。本所は石清水八幡宮で、所領(近畿・美濃・尾張・阿波・肥後など10か国以上)での油の販売と荏胡麻購入独占権を得ています。
 時代が進むと共に、農村でも、研鑽と努力によって、次々と新しい商品が誕生しました。それを販売する人々は、座に所属していません。そこに、独占的な特権を維持したい座衆との間で対立がおこります。 組織は、発展段階では、大きな力を発揮します。しかし、成長しきると、自分達の座を維持しようと閉鎖的となり、商工業の発展を阻害する弊害的な組織になってしまします。
 この解決は、織田信長楽市楽座令まで、待たなくてはなりません。
座と現代の世相
 私の小学校時代の秋祭りの思い出です。校門を出ると、左右に露店が所狭しと並んでいました。学校の行き帰り、いつも相手をしてくれていた、人のいい「おっちゃん」も店を出していました。突如、いきのいい「お若い」「お兄いさん」がやってきて、何事が会話があった後、「おっちゃん」は、店の裏に連れて行かれました。恐いもの見たさで、先生の「道草しないで早く帰りなさい」という言葉も忘れて、やや離れたところで、成り行きを見ていると、顔色を変えた「おっちゃん」が店をたたんで、急いでその場を立ち去っていきました。
  これを、後に見た「やくざ映画」の場面にあてはめると、あの「おっちゃん」は、「胴元」に「所場代」を払っていなかったので、「縄張り」を荒らしたことになるのです。
 祭りの露店の場所を見ると、人通りの多い所や、まったく通らない所など様々です。露店商が、場所代を払った時、胴元が、手帳を見て、「前回は不便なところだったので、今回は人通りのよい所に場所にしよう」といって、場所が決められるのでしょうね。この場合は、座が機能しています。
 以前、任天堂がゲームの世界に参入した時は、「自由」を訴えていましたが、ゲームの世界を制覇すると、一転保守的になり、様々な「しばり」(制約)をしました。そこへ参入したのが、ソニーです。任天堂は、トップの座から滑り落ちました。従業員が可哀相です。
 最近話題の三菱自動車は、スタート時点から、異常でした。それほど人気もないのに、「待ち」をつくり、人気を人為的に作り上げました。その後も、三菱系の会社に勤めたり、仕事で行く場合も、三菱の自動車でなければ、不利な扱いをしていました。これは、私の体験です。このような体質、つまり閉鎖的で、悪質で陰湿な秘密主義が「事故隠し」につながったのだと思います。従業員が可哀相です。
 私は、三菱の自前主義を尊敬しています。しかし、系列に遅れて参入した自動車部門には、自前主義の本当の意気が分からなかったことが、遅れた負い目が悲劇のはじまりだったと思います。

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