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エピソード

088_02

室町時代の交通と金融(問丸、為替、馬借、永楽通宝)
  生産力があがると、余剰人員が出てきます。進んだ考えの家では、同じ商品が豊富な地域と、少ない地域と、全く内地域とでは、売値が極端に違うことを学びます。また、消費者の多寡も重要な要素になります。そこで、出来るだけ高く売るために、商品がない地域、消費者の多い地域、つまり遠隔地域であっても、少しのリスクを覚悟して、出かけようとします。
 米どころ出羽・越後の米は、海上の廻船(港湾を定期的に往来する船)を使って敦賀に陸揚げされます。敦賀には、出羽や越後の米を保管したり、米の発想時期を管理する商社マンが滞在しています。これを問屋(荘園の年貢などを管理した問丸が、独立して発展した運送業・倉庫業者)といいます。
 問屋の指示により、米は、敦賀から消費地の京都や大坂に運ばれます。敦賀から琵琶湖までは、陸上の運送業者はである馬借(馬の力を借りる業者)や車借(荷車の力を借りる業者)が担当します。
 出羽・越後は、米を京都・大坂に運びます。その決済に、手軽なお金が使われます。そのことを為替取引といいます。そのため、中国の明から永楽通宝洪武通宝が輸入されます。
 お金の価値を知った人が、貨幣を鋳造します。これを鐚銭といいます。しかし、輸入した明銭より質が劣るため、「悪貨は良貨を駆逐する」の例えどおり、明銭をしまいこんで、悪貨の鐚銭をはやく使おうとする感情が支配します。これをr銭といいます。そのため、円滑な取引が停滞するので、幕府や戦国大名は流通貨幣の種類を制限します。これがr銭令です。
 遠隔地商業や貨幣経済が儲かるとわかると、それに手を出す人も出てきます。豊かな人が手を出す場合もあり、一代で儲けた人もいます。儲けたお金で酒造業を営む人がいたので、彼らのことを酒屋といいます。
 また、儲けてお金で高利貸し業を営む人もいます。預かった商品を、土蔵に保管したので、彼らのことを土倉といいます。
 幕府は、酒屋や土倉から税金をとって、保護をしました。土一揆や徳政一揆の対象が、幕府や酒屋や土倉に向かったのは、こういう理由によります。
体験的日本史
 土一揆の発生が、大津・坂本の馬借というのは、敦賀から琵琶湖までの運送を担当している、地理的にりゆうがあります。また、世論のルーツは輿論という字です。輿論の「輿」は駕篭かきの籠のことです。運送業者は、様々な地域の、様々な人々と交流をします。そこで集約された意見が世論となったのです。
 私は、財布の中から、汚れた紙幣、古い貨幣から使います。新札や新硬貨は、大切にしまっています。
こういう体験から、「悪貨は良貨を駆逐する」という人間の心理は、よく理解でします。
 私の生まれ育った地域に、酒造業を営んでいた人がいました。いわゆる地酒屋さんです。そのルーツを探ると、やはり大地主でした。

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