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エピソード

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南北朝文化(『神皇正統記』、『太平記』、『梅松論』)
 南北朝時代は、鎌倉時代から室町時代の過度期に当ります。社会的には、新興の悪党をどう秩序化する変動の時代といえます。安定期から安定期への過度期は、動乱の時代でもあります。
 過度期とか動乱時代は、自己の存在を内省的に考える時代でもあります。その結果、歴史書や軍記物語が誕生します。過度期には、没落する者もいれば、成り上がる者もいます。
 そういう時代の文化を探って見ましょう。
 歴史書で有名なのが、北畠親房の『神皇正統記』です。南朝の正統性を理論的に主張する歴史書です。「大根水増し」といわれる(私の説)四鏡の最後の『増鏡』もこの時代の産物です。源平争乱後のの朝廷の歴史を、南朝の立場から扱っています。
 軍記物語は、この時代も盛んです。『太平記』は、その中でも傑作です。南朝側の立場で書かれていますが、批判する目は、かなり冷静で、厳しいものをもっています。読みやすいのは、「太平記読み」といって、口語文的な表現があるからでしょう。
 『梅松論』は、足利幕府の正統性と一門の繁栄を「梅」と「松」に例えて論じています。
 今川了俊の『難太平記』、『太平記』、『梅松論』を並べて、考察するのも、勉強になります。
 有職故実という言葉があります。『徒然草』に、 「有職の振る舞ひ、やんごとなきことなり」という表現があります。意味は「儀式・官職の故実に通じた行いは、りっぱなことである」ということです。有識とは、「知識」を「有」する。つまり知識を持っているとことです。
 字源的には、故実の「古」は、かたくなった頭骨、故は「攴(動詞の記号)+音符古」です。つまり、かたまって固定した事実を意味です。故実の「實」は、「宀(やね)+周(いっぱい)+貝(たから)」です。つまり、家の中に財宝をいっぱい満たすという意味です。そのことから、故実は、「法令・儀式・作法・服装などについての古代のたくさんの習慣・先例」となります。「コジツ」ケではありません。
 旧来の支配層である公家が、地方武士(足利尊氏や新田義貞)や新興の武士(楠木正成や赤松則村などの悪党)に対して威張れるのは、過去の行事や先例や習慣の知識です。
 後醍醐天皇は、『建武年中行事』を書いています。
 北畠親房は、『職原抄』を著しています。
文章(史料)は、書く人の立場によって、意見が違います
 私も日記を書きます。他人が見ないという前提ですから、他人が読むと、とても耐えられない内容になっています。
 逆に、ここの文章は、他人が見るという前提で書いています。当然、日記と、他人に見られる前提の文章とは、表現も内容も違います。
 つまり、他人の文章を読む場合、その文章の作者は、どういう立場で書いているか、吟味する必要があります。対立している陣営がいる場合、両方の文章を読まないと、偏った情報を得ることになります。
 民俗調査に行ったときの経験です。没落した名家は、過去を話したがります。逆に、新興成金は過去を話したがらず、今を語りたがります。立場の違いによって、こうも違うのだということを学びました。
 ある親戚の法事に行った時の話です。遅れてきたお寺さんは、最初に口にしたのが「このお花の位置が違ってます。これはこうこうだから、こうして下さい」でした。機嫌が悪かったのか、遅刻したバツの悪さから、そう言ったのか分かりません。
 別なお寺さんは、ごはんさんや蝋燭の立て方にも注文をつけていました。
 説教できない、若いお寺さんに共通します。お寺の専門的な知識のない在家の者には、専門的な指摘をされると、ただただ恐れ入るしかありません。没落する立場、或いは没落している立場に共通すると思うのは、私1人でしょうか。

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