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エピソード

093_02

伝統文化と華道(池坊専応、池坊専好)
 民間信仰としての花
 日本では、古来、神の宿る依代として榊などを用いたり、神を慰めるために木や花を用いたりする習慣がありました。今も、神社のお払いに榊が使われています。
 仏教と花
 仏教が伝来すると、木や花は、仏前の供花として使用さえるようになりました。
 鳥羽僧正(1053〜1140)の『鳥獣戯画』には、僧の姿をした猿が、仏の座に座っている蛙前で読経しています。そこには、一輪挿しの瓶に蓮の花が立てられています。
 挿し花(立て花の創始)
 池坊は、六角堂頂法寺(聖徳太子が創建)に代々奉仕する僧でした。
 1462(寛正3)年、池坊専慶が挿した挿花(立て花)を見るために、群集が押しよせたという記録があります。立て花は、花器の中央に枝を高く立てる技法です。
 いけばな(立て花から花道へ)
 1530(享禄3)年頃、池坊専応は、花伝を大成し、立花一道を相伝しました。
 弟子に相伝した『専応口伝』の中で、以前の挿し花を「瓶に美しい花を挿すこと」 (美しい花を観賞すること)と規定し、本当のいけばなは、「よろしき面影をもととする」と説きました。
 それは、草木の風興をわきまえ、「野山、水辺おのづからなる姿を居上にあらはし、花葉をかざ」るもので、花をいけることによって悟り(無の心)を得るという思想です。
 専応によって初めて、いけばなは、花「道」と呼ばれる芸術にまで高められたのです。
 茶花
 千利休は、茶の湯を大成しました。千利休は、茶の湯の心得として「花は野にあるように」と説き、装飾的な立て花を否定し、簡潔で象徴性の高い花を茶花に求めました。
 立花(たてはな)の大成
 二世池坊専好(1570〜1658)は、立て花の理論構成に、千利休の思想を取り込み、立て花を大成しました。
 また、専好は抛入れ花(花材を傾けて挿す)にも対応しています。
 この「立て花」と「抛入れ花」は、禅の思想である「侘び茶」の花として展開しました。
 生花(せいか、しょうか)
 立て花は最盛期を迎え、立華として洗練の度合いを高めます。
 18世紀後半、煩雑華美な立華は敬遠され、庶民生活に合った抛入花のほうが盛んになりました。しかし、抛入花は即興の花で、接客を旨とした床飾りの花としての格式が求められました。
 植物の出生を理論家して、5つの役枝を有する花形が創設されました。こうして、立華と抛入花の中間をいく花が生まれました。それが生花です。  
 「天地人」(真副対)の花
 19世紀初、役枝を三角形の骨格に理論化して、「天地人」や「序破急」(芯副対)と呼んで、立華よりいけやすい形式とし、表現方法を大幅に単純化したので、庶民の間で広く支持されるようになりました。
 その結果、多くの流派が誕生し、家元制度も確立しました。 
 盛花・投入花
 大正時代、生花(しょうか)の1つとして盛花・投入花が流行しました。
 明治時代、西洋の草花が栽培されるようになりました。これを取り入れ、盛花を創案したのが小原雲心です。
家元制度と芸術
 伝統芸能である能や狂言は、男子社会に継承されています。逆に、伝統芸術とされる茶道・華道は、女性社会に継承されています。
 茶道・華道は、宗教性・芸術性を離れ、良妻賢母の資格、花嫁の資格となった結果です。
 能・狂言・歌舞伎、茶道・華道も家元制度を採用しています。一子相伝・一子口伝のよさもあります。しかし、芸・芸術は本当に親子で相伝出来るものでしょうか。相伝する場合、他人が入り込む余地の無い様式美に堕す危険性があります。
 日本の伝統芸といっても、歴史は室町時代に端を発しています。伝統を維持しつつ、新しい血を入れるオープンで、切磋琢磨する競争も必要ではないでしょうか・
 家元制度の次の弊害は、芸の切り売りです。ランクが上がる度に免状を出し、その都度、お金を催促する制度です。
 本来、「道」がつく芸は、すべてを無にする精神修行だったはずです。お金が無ければ、上のランクに進めないというのは、家元制度の保護以外の何物でもありません。
 文化の継承・発展を考える場合、私は、現在の支持者を重視しています。若い人が、これからは、中心の支持者になるのですから…。
 先日、津軽三味線の吉田兄弟のコンサートを見る機会がありました。私は高橋竹山さんの津軽三味線を何度も聴いていたので、若い兄弟の演奏に興味を覚えました。ベースやドラム、キーボード(電子ピアノ)など現代楽器をバックに取り入れていました。
 人間国宝が出演した歌舞伎より観客は多かった。その理由は、三味線ということで、かなり年配の方もいたし、「イケメン」で若いということもあるのか、若い人もたくさん来場していました。歌舞伎の場合は、若い人は数えるほどしか見当たりませんでした。能の場合は、殆ど若い人はいませんでした。
 以前から、伝統的な古典華を重視しつつ、個性を表現する自由花を創作する動きもあります。しかし、ブランド志向の強い閉鎖社会では、この動きも十分機能しているとは言えません。
 自分にとっていい物がブランドといえる時代になって、こうした動きが加速することを願っています。
 大学の推薦入試の面接指導をした時の経験です。「何故、お花を習っていますか」と質問すると、「花が好きだからです」とか「母が習っていたので、習いだしました」などの答えが返ってきます。
 次に、「どうして華道には、道という字がつけられているのですか」と問うと、殆どの生徒は答えられません。そこで、質問を変えて、「先生に誉められた時は、どんな時ですか」と訊くと、「夢中になって活けた時です」「何も考えずに活けた時です」と答えられます。私がホッとする瞬間です。
 最終的には、「花を活けることで、何時でも、どこでも、心を無に出来る状況を習得しているんですよ」という話を納得して、面接を終わることにしています。
 ともかく、華道の歴史を調べるのに、膨大なエネルギーを消耗しました。色々な本を読んでも、たくさんのホームページを閲覧しても、表現がバラバラなのです。是非、再度挑戦します。
 お花を指導している方、習っている方にお願いします。統一的な華道の歴史を紹介してください。

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