print home

エピソード

094_03

西国三十三か所巡礼
 私たち夫婦は、2009年4月より、観光バスツアーで、西国三十三か所巡礼を始めました。
 動機は、年齢により、外国旅行を卒業して、国内旅行に切り替えたことにあります。
 私の実家は、浄土真宗西本願寺派で、観音信仰とは遠い立場にありました。親鸞の師・法然のルーツは、当時の観音信仰にありました。
 歴史と伝統のある西国三十三か所の霊場を巡り、日本人の精神性を体感したいということもありました。
 色々な要素が重なっています。
 これを書いている2010年2月現在、残すは、和歌山県の青岸渡寺・紀三井寺・華厳寺のみとなりました。
 下記の表を見ると、本尊は、@聖観世音菩薩、A十一面観世音菩薩、B千手千眼観世音菩薩、C馬頭観世音菩薩、D准胝観世音菩薩、E如意輪観世音菩薩、F不空羂索観世音菩薩の7観音であることがわかります。
 @聖観世音菩薩の説明です。最初の観世音菩薩(観世音菩薩、観自在菩薩)は、シンプルな1面2臂のの形をしていました。信仰が多様化するうちに、1面2臂では観音の偉大な力を発展できなくなって、多面(顔)多臂(腕)の観音が誕生するようになりました。多面多臂の観音に対して、最初の1面2臂の観音を聖(=正)観音と呼ぶようになりました。
 独尊仏の場合は観世音菩薩と称され、脇侍仏の場合は単に観音菩薩と呼ばれています。1面2臂の独尊仏でも、法隆寺の「百済観音」・「救世観音」などは「観音菩薩」と言われています。
 左手に蓮華を持っています。長い髪を頭上でまとめ、阿弥陀如来の化仏を頂いています。
 一概に規定できなところが、奥深く、面白いのかもしれません。
 A十一面観世音菩薩の説明です。『金剛乗経典』には、観音は「十種勝利」(病気しないなど10種類の現世での利益)と「四種功徳」(地獄に落ちないなど4種類の来世での果報)を約束しているといい、そうした観音の心を表現したのが十一面観音です。
 『十一面神咒心経』に基づき十一面を配置しています。本体の観音に加え、頭上の正面に菩薩3面(善良な衆生に楽を施す慈悲の象徴)、向かって右に瞋怒3面(邪悪な衆生を戒めて仏道へと向かわせる)、向かって左に狗牙上出3面(浄らかな衆生を励まして仏道を勧める)、背面に大笑1面(悪にまみれた衆生の悪行を大口を開けて笑い滅する)、合計11面を配置しています。頭上中央のやや大きい阿弥陀如来は化仏で悟りを象徴しており、十一面には数えません。
 B千手千眼(せんげん)観世音菩薩の説明です。『千手千眼陀羅尼経』には、地獄の苦悩や一切衆生を済度して諸願成就を司る観音が説かれています。「千手観世音菩薩」、「十一面千手観音」、「千手千眼観音」「十一面千手千眼観音」、「千手千臂観音」とも呼ばれ、十一面観音が発展して誕生しました。一切の衆生を漏らさず救済するには、十一の顔では不十分で、千の手が欲しい。それだけでは不十分で、千の目が欲しいという諸願成就の心を表現した観音です。
 葛井寺の観音は、大手が40本、小手は1001本である。大手・小手の掌には、絵具で「眼」を描き「千手千眼」を表わしている。
 千本も手を作るのは困難なので、十一面四十二臂とするものが一般的です。四十二臂の意味は、合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救う(40本の手×25の世界=1000の世界の人々の救済)と説明されています。仏教で言う「三界二十五有」とは、天上界から地獄まで25の世界(欲界に十四有、色界に七有、無色界に四有)があるとされています。「有頂天」という表現は、二十五の頂点にある天上界のことを意味します。
 C馬頭(ばとう)観世音菩薩の説明です。頭上に馬の頭を載せていることが呼称のおこりです。衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する観音で、無明の重い障りを大食の馬のように食い尽くすという意味でもあります。
 馬頭観音の表情は、目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した忿怒の相をしています。体色は赤く、頭上に白馬頭を戴き、三面三目八臂(額に縦の一目)が特徴です。
 西国札所では、松尾寺のみで、病から護り、天変地異や内乱を防ぎ、馬の安全を祈る観音です。
 D准胝(じゅんてい)観世音菩薩の説明です。准胝の「准」は平らにする、「胝」は底なので、底を平らにして子を生む、つまり色々な物を生み出す仏の母に通じます。「准胝観音菩薩」、「准胝仏母」、「天人丈夫観音」、「七倶胝仏母」とも呼ばれています。七倶胝仏母とは、「七千万の仏の母」という意味で、この観音が、人を悟りに導いて数限りない仏を誕生させる宇宙の神性の擬人化であることを示しています。
 「仏の母」という名から、安産・子授けの功徳もあるとされています。真言宗小野流の始祖・聖宝が准胝に祈って朱雀天皇や村上天皇を授かったという伝説もあります。
 西国札所では、上醍醐寺のみで、一面十八臂が主流です。
 E如意輪観世音菩薩の説明です。「如意輪観音菩薩」、「大梵深遠観音」、「救世菩薩」とも呼ばれています。仏教の悟りを開く際に起こるさまざまな障害を取り除く仏として誕生しました。
 「如意」とは如意宝珠、「輪」とは法輪のことです。如意宝珠とは、仏徳を象徴し、一切の願いやのぞみをかなえるという不思議な珠のことです。六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えるなど全ての願いを叶える珠です。法輪とは、仏法の象徴で、煩悩を破壊します。
 片膝を立てて座る六臂の観音が主流です。6本の手のうち、右の第1手は頬に当てて思惟し、右の第2手は胸前で如意宝珠、右の第3手は外方に垂らして数珠を持っています。左の第1手は掌を広げて地に触れ、左の第2手はつぼみの蓮華、左の第3手は指先で法輪を支えています。
 F不空羂索観世音菩薩の説明です。「不空羂索観音菩薩」、「鹿皮衣観音」とも呼ばれています。
 「不空」とは、この観音を信仰すれば「むなしからず」と言う意味です。「羂索」とは、インドで投げ縄状の罠という意味です。つまり、不空羂索観音とは、「心念不空の索をもって逃すことなく、すべての衆生を救済する観音」ということになります。死に臨んだ時も安泰のご利益があります。
 一面三目八臂(額に縦の一目)が主流です。胸前で二手が合掌し、他の二手は与願印を結んでいます。その他の四手には、羂索や蓮華・錫杖・払子を持っています。

 次に西国巡礼の歴史をみましょう。
 養老2(718)年、病のために仮死状態にあった長谷寺の徳道上人は数日後に息を吹き返した。上人はその数日のあいだに地獄に行き閣魔大王に会った。すると閻王は、「未だお前は死期に達していないから帰るがよい。帰ったら三十三ヶ所の霊験あらたかな観音堂があるから、人びとにこれを知らせるように」と命じた。そして上人は三十三所印を授けられたのである。生きかえった徳道はそのことを人びとに聞かせたが、当時の人たちのあいだには信ずるものがなかったので、色々と悩んだ末にその印を中山寺の石函に埋めました。
 19歳で出家した花山法皇は、その後比叡山に登って修行を行なっていました。永延2(988)年、花山法皇は、この宝印を掘り出し、河内国石川寺の仏眼上人のすすめによって、性空上人、弁光僧正を供にして、那智をはじめ、紀伊(和歌山)・和泉・河内(大阪)・大和(奈良)・山城・丹波(京都)・摂津(大阪)・播磨(兵庫)・丹後(京都)・近江(滋賀)をめぐって、同じ年の秋に美濃(岐阜)の谷汲で巡礼を終えました。その結果、巡礼が盛んになったと言います。
 山嶽修験者、天台・真言の高僧のあいだには、諸地方に散在する修行の場所を求めて遍歴する人たちがたくさんいました。花山法皇もその一人でした。しかし法皇の時代には観音霊場としての三十三ヶ所寺院はまだ確定していませんでした。
 西国札所の順番は時代によっていろいろと変化しています。
(1)「三井寺前大僧正行尊(1135年没)三十三所巡礼手中記日数百五十日」(『寺門伝記補録』)によると、長谷寺からはじまって、飛鳥地方を経て、和歌山・熊野に巡拝し、梶尾・葛井寺から摂津・丹後をを回って、美濃・近江をすませ、京都・奈良を経て、宇治三室戸寺で終わっています。
(2)『寺門伝記補録』によると、行尊の記録のあとに三井寺覚忠が応保元年(一一六一)に七十五日間のあいだに三十三ヶ所を巡拝したとあります。この時の順序は第一番を那智からはじめて、紀三井寺・粉河寺を経て飛鳥地方・長谷寺に行き、奈良を通って、河内・摂津・播磨・丹後・近江・美濃・京都をまわり、三室戸寺で終っています。三十三ケ寺の名をみると、その順序はちがっていますが、現在の札所寺院名がそのままあげられています。
(3)長谷僧正の記録『塵添■嚢紗』によると、久安六年(1150)に行なわれた巡礼では、那智如意輪堂からはじめて、三室戸寺を最後にしています。しかし、葛井寺剛林寺が欠け、那智千手堂が入っています。熊野参詣の影響か、平安末期には第一番札所として、那智山が入っています。
 順序については、「三十三番の参詣の次第については異説が多いようである。或いは長谷を初めとなし、或いは御室戸をはじめとして、長谷を終りとするなど。或説に云う。ただ便路をもって本となし、前
後を論ぜず……」、つまり、順序は便宜的なものであるとしています。
(4)15世紀末頃の『天陰語録』によると、「三十三所霊場は南紀那智に始まり、東渡谷汲に終る」とあり、現在の札所の順序と同じことが分かります。
 「西国札所」という言葉は東国の人が付けた名称であると考えると、この順序は東国から来た人が、那智を最初とし、美濃を最後として東国に帰ることを予想させます。つまり、鎌倉時代以後に東国の人たちによって巡礼された道筋を示すものといえます。
(5)石山寺に現存する木製、金属製の納札によると、「甲州巨摩郡布施庄 小池図書助 西国三拾三所巡礼 ■(ときに)弥勒二年(1507)丁卯六月吉日」とあり、西国巡礼が室町時代に盛大になっていた
が分かります。

札所 山 号 寺 院 本 尊 所 在 地
第一番 那智山 青岸渡寺 E如意輪観世音菩薩 和歌山県那智勝浦町
第二番 紀三井山 金剛宝寺【紀三井寺】 A十一面観世音菩薩 和歌山県和歌山市
第三番 風猛山 粉河寺 B千手千眼観世音菩薩 和歌山県粉河町
第四番 槙尾山 施福寺【槙尾寺】 千手千眼観世音菩薩 大阪府和泉市
第五番 紫雲山 葛井寺【藤井寺】 十一面千手千眼観世音菩薩 大阪府藤井寺市
第六番 壺阪山 南法華寺【壺阪寺】 千手千眼観世音菩薩 奈良県高取町
第七番 東光山 岡寺【龍蓋寺】 如意輪観世音菩薩 奈良県明日香村
第八番 豊山 長谷寺【初瀬寺】 十一面観世音菩薩 奈良県桜井市
番外 豊山 法起院【徳道上人廟】 徳道上人 奈良県桜井市
第九番 興福寺  南円堂 F不空羂索観世音菩薩 奈良県奈良市
第十番 明星山 三室戸寺【御室戸寺】 千手観世音菩薩 京都府宇治市
第十一番 深雪山 上醍醐寺 D准胝観世音菩薩 京都市伏見区
第十二番 岩間山 正法寺【岩間寺】 千手観世音菩薩 滋賀県大津市
第十三番 石光山 石山寺 二臂如意輪観世音菩薩 滋賀県大津市
第十四番 長等山 円城寺【三井寺】 如意輪観世音菩薩 滋賀県大津市
番外 華頂山 元慶寺 薬師如来 京都市山科区
第十五番 新那智山 観音寺【今熊野】 十一面観世音菩薩 京都市東山区
第十六番 音羽山 清水寺 十一面千手千眼観世音菩薩 京都市東山区
第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺 十一面観世音菩薩 京都市東山区
第十八番 紫雲山 頂法寺【六角堂】 如意輪観世音菩薩 京都市中京区
第十九番 霊鹿山 行願寺【革堂】 千手観世音菩薩 京都市中京区
第二十番 西山 善峰寺 千手観世音菩薩 京都市西京区
第二十一番 菩提山 穴太寺【穴穂寺】 @聖観世音菩薩 京都府亀岡市
第二十二番 補陀洛山 総持寺 千手観世音菩薩 大阪府茨木市
第二十三番 応頂山 勝尾寺【弥勒寺】 十一面千手千眼観世音菩薩 大阪府箕面市
第二十四番 紫雲山 中山寺【中山観音】 十一面観世音菩薩 兵庫県宝塚市
番外 東光山 花山院 薬師瑠璃光如来 兵庫県三田市
第二十五番 御嶽山 清水寺 十一面千手観世音菩薩 兵庫県社町
第二十六番 法華山 一乗寺 聖観世音菩薩 兵庫県加西市
第二十七番 書寫山 圓教寺 六臂如意輪観世音菩薩 兵庫県姫路市
第二十八番 成相山 成相寺 聖観世音菩薩 京都府宮津市
第二十九番 青葉山 松尾寺 C馬頭観世音菩薩 京都府舞鶴市
第三十 番 巌金山 宝厳寺 千手千眼観世音菩薩 滋賀県びわ町(竹生島)
第三十一番 姨綺耶山 長命寺 千手十一面聖観世音菩薩 滋賀県近江八幡市
第三十二番 ■山 観音正寺 千手千眼観世音菩薩 滋賀県安土町
第三十三番 谷汲山 華厳寺 十一面観世音菩薩 岐阜県谷汲村
■=糸(ヘン)+散)
 佐和隆研『西国巡礼』(社会思想社)・百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などを参照しました。
西国33か所札所参拝ツアーに参加して
 兵庫県の姫路駅を始発とする西国33か所札所の参拝ツアー(2009年4月から1年間)に参加しました。
 バスに乗ると、数珠や経典などの参拝セットが配付されました。バスには、添乗員2名と先達1が同行しています。
 先達さんが色々と参拝の規則を説明しています。早速、参加者で読経しました。私は浄土真宗の西本願寺派、妻は東本願寺派なので、共通の土俵にありますが、真言を主とする参拝には分からないことばかりでした。
 読経の順番と内容です。
@開経偈(「今、ここで観音さまの教えに出会えたことに感謝し、導きに従うことを誓います」)
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我会見聞得受持 願解如来真実義

A懺悔文(「自分の犯す悪行や罪を反省し、すべてを悔いてゆるしを乞う」。懺悔は仏の道の始まり)
我昔所造藷悪業 皆由無始貪嗔痴
従身語意之所生 一切我今皆懺悔

B般若心経(「この世のすべては常に変化するものであり、何事にもこだわらずに、さとりの境地へ至る」般若とは知恵の意味)
(彿説)摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照
見五蘊皆空度一切苦厄。舎利子。色不
異空。空不異色。色即是空。空即是色。受
想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相
不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空
中無色無受想行識。無眼耳無舌身意
無色声香味触法。無眼界。乃至無意識
界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死亦
無老死盡。無苦集滅道。無智赤無得。以
無所得故。菩提薩■。依般若波羅蜜多
故。心無■礙故。無有恐怖。遠離
一切。顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸沸。依
般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三
菩提。故知般若波羅蜜多。是大神呪。是
大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一
切苦。眞実不虚。故税般若波羅蜜多呪。
即説呪曰掲諦掲諦波羅密多掲諦波羅僧
掲諦菩提薩婆訶。 般若心経

C延命十句観音経(「ひたすら観音さまを念じ、その功徳を信じます」)
観世音 南無彿 與佛有因 與彿有縁
彿法僧縁 常楽我浄 朝念観世音
暮念観世音 念念従心起 念念不離心

D御本尊真言(各札所の御本尊を讃えるサンスクリット語の呪文)
「おん ばさら だるま きりく」(第3番・粉河寺、第20番・善峯寺)

E回向文(「私もほかの人とともに、仏道成仏することを願っています」)
願以此功徳 普及於−切
我等与衆生 皆共成佛道
(『西国三十三所勤行次第』より)

 帰りのバスの中でも、読経をします。内容と順序は同じです。老いも若きも男も女もスラスラと読経をしていました。浄土真宗以外は、般若心経は共通のお経のようでした。
 いよいよ、最初の札所に着きました。
@山門の前(門前)で合唱します。山門とは、お寺の正門である三門の別称です。三門とは、空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門(三解脱門)のことです。実際の建物では、南面する正門1(南大門)とその東西に位置する副門2で構成されています。
 山門(三門)には門扉がありません。これは一切衆生が仏門に入る事を拒まないという仏の慈悲を象徴しています。
A本尊のある本堂に行くまでに、手水場があります。柄杓を右手に取り、水を汲みます。そして、左手を浄めます。次に左手に柄杓を移し、右手を浄めます。次に右手に柄杓を移し、左手の掌に水を溜め、その水で口を漱ぎます。柄杓を立て、残った水で柄杓の手で持った部分を洗います。
B本堂に着くと、灯明(ロウソク)をあげます。ロウソクあげ、観音さんの知恵を頂きます。
C次に、線香をあげます。線香をあげ、観音さんの徳を頂きます。
D次に、住所や氏名を書いた納め札を札箱に入れます。観音さんに覚えてもらいます。
E次に、賽銭箱に賽銭を入れます。遠くから投げ入れず、静かに落とすように入れます。
F次に、鰐口を鳴らします。観音さんに「お参りに来ましたよ」と来意を告げるのです。
G次に、読経します。読経の内容と順番は上記の通りです。
H次に、納経帳に朱印を頂きます。
I最後に、山門を出た所(門前)で、合掌します。
 私たちは、都合3人の先達さんに案内して頂きました。作法に厳しい先達さん、作法より心を重視する先達さんなど三人三様でした。
 NHK教育の『趣味悠々』では、紀三井寺の副住職・前田泰道氏が次のように解説されていました。
 「参拝の作法にしても、決まり事にとらわれすぎず、最初は自分のできることから始めればいいんですよ。読経ができない人は、無理をしなくていいのです。極端なことをいえば、スタンプラリーのつもりで札所をまわってもいい。まわっているうちに、少しずつ自分の気持ちが変化していくことに気づくと思います」
 巡礼が全て終わった時、西国札所などから法然が生まれ、法然から親鸞が誕生したことを検証したいと思います。

index