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西国三十三か所巡礼を終えて | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 私たち夫婦は、2009年4月27日(月)より、観光バスツアーで、西国三十三か所巡礼を始めました。平日が混んでいないだろうと、JR西日本明石駅7時55分発を選びました。 しかし、第2回目から平日はなくなり、日曜日発となったので、自宅の近くとなるJR西日本姫路駅発を選ぶこととなりました。 飛びとびで行くより、一気に行く方法を採用しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2 | 第1回〜第11回の予定で、三十三か所を巡礼しました。 その間、先達さんには、女性・年配・若年・壮年の4人の方にお世話になりました。 その資格を調べると、三十三か所の巡礼を1回終え、礼録(1万円)を納めると、先達になれます。 先達には、色々な称号があります。巡礼回数と札録によって差を設けています。最高位は特任大先達で、巡礼の回数は34回、礼録は30万円です。
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3 | 札所の順番でなく、ツアーで巡礼した順に紹介します。 ツアーの順番が札所の順番と違うのは、本尊の公開日にツアーの予定を設定するためです。 参詣している間に、旅行社の人が掛け軸に朱印をする。手数料として1か寺500円なので、36か寺×500円=1万8000円になります。 個人で行った場合、参詣し、なおかつ、朱印を押すと、時間がかかります。ご本尊ご開帳(公開)の場合、朱印を押す人が行列を作っています。成相寺・長命寺・観音正寺には、急激な坂道が延々と延びているので、ツアーの場合、タクシーやマイクロバスで行きました。お寺の駐車場は狭いので、マイカー族は駐車場の空きが出来るまで、下で待たされます。タクシーの場合、駐車場がいらないので、バスから下車すると、すぐ出発できました。 上は37万8000円、下は10万円を出すと、朱印を押した掛け軸を入手できます。 ツアーの費用は1回約1万円なので、11回×11万円です。しかし、参詣することで、その掛け軸に意味があります。ツアーより、個人のマイカーで苦労しながら、巡礼すれば、より意義があります。さらに、電車やバスを使うと、より意味があります。さらにさらに、昔のように歩いて、三十三か所を巡礼すると、信仰の真の意味に近づくでしょう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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5 | 観世音菩薩(観音さん)は、大衆を救済ことで成仏(如来)する修行中の身と言われています。大衆を救済するとは、様々な形で現れ、人々を教え導くことをいいます。あるいは、すでに悟りを開いているにも関わらず、仏陀の手足となって活動する菩薩という考えも誕生しました。 大衆に迎合するために華美で妖艶な魅力的な容貌をしています。大衆を救済するために、現世利益的で現実的な姿・形したり、持物を持っています。水瓶にはいくら使ってもなくならない水(功徳水)が入っているとされています。 一番、現世利益を象徴している菩薩が「十一面千手千眼観世音菩薩」と言えます。あらゆる方向を見るという意味で、十一面の顔を持っています。あらゆる人を残らず手を差し伸べるという意味で、千の手・千の眼を持っています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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7 | 観世音菩薩には、十一面四十二臂の菩薩像があります。臂は肘のことで、「肩から手首に至る腕全体の部分」です。普通は手と訳します。 合掌する2本の手を除くと、40本の手になります。仏教では、1本の手で25世界(三界二十五有)を救うという意味があります。三界とは「欲界(欲心の盛んな人間世界)・色界(物質や肉体に執着している世界)・無色界(物質の束縛から解放された精神の世界)」のことであり、二十五有とは「欲界に十四有、色界に七有、無色界に四有」のことです。つまり40本×25世界=1000世界です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8 | 西国三十三か所巡礼の「33」には、どういう意味があるのでしょうか。 観音経(『観世音菩薩普門品』)には、観世音菩薩が大衆を救済するために、衆生に応じて33通の姿に化身するとあります。これを普門示現といいます。
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9 | 六地蔵とか六観音信仰というのがあります。 真言宗では、本来の聖観音を母体に、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称しています。 天台宗では、本来の聖観音を母体に、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、不空羂索観音を六観音と称しています。 六観音は六道(6世界)輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれました。 六道と六観音の組合せは次の通りです。 地獄道(聖観音)、餓鬼道(千手観音)、畜生道(馬頭観音)、修羅道(十一面観音)、人道(准胝観音)、天道(如意輪観音) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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四国三十三か所札所巡礼と法然・親鸞の誕生 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 親鸞の有名な悪人正機説があります。「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なお往生す、いかにいはんや善人をや」 善人と悪人を現代風に解釈すると、この親鸞の意図は理解できません。 善人とは善行を積んだ人(造寺造仏・写経・巡礼などをした人)、悪人は善行が出来ない人(造寺造仏・写経・巡礼などができない人)と解釈すると、親鸞の意図は理解できます。 造寺造仏・写経・巡礼が出来る人は、当時でいえば貴族や武士の一部の人です。大多数の人(大衆・衆生)は造寺造仏をするほどお金がありません。写経をするほど学問がありません。巡礼するほど時間的な余裕がありません。 法然や親鸞が出る前の当時、大衆は、往生を遂げられないとされていました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2 | 法然は、衆生救済が仏教の実践項目と考え、「南無阿弥陀仏」という念仏を称えると、阿弥陀さんが救ってくれると言うのが弥陀の本願だと主張し、実践しました。 京都には、法然の浄土宗の本山・知恩寺がありますが、この地名を百万遍と言います。なぜ百万遍というかというと、「南無阿弥陀仏」という念仏を「百万遍」称えると、阿弥陀如来が極楽浄土させてくれるという教えに因んでいます。 善行を主張していた旧仏教から激しく非難を受け、土佐に流罪となりました。親鸞も越後に流罪となりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3 | 法然は初めて他力本願を説きましたが、まだ「百万遍」という自力の要素がありました。しかし、その弟子親鸞は自力を捨て、絶対他力を説きました。悪いと自覚している人ほど必死に「南無阿弥陀仏」と念仏します。 これを理解すると、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なお往生す、いかにいはんや善人をや」という意味が分かります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4 | 西国三十三か所巡礼には、自力の要素が多い。 納経帳に朱印を押します。二回目の巡礼の時、重ね印を押します。押せば押すほどご利益があるというのも自力の要素です。 最も代表的な話が『壺阪霊験記』です。盲目の夫・沢一の目を治そうと、夫に無断で、妻のお里は壷阪寺の観音様に早朝から3年間もお参りして来ました。満願の日、お里の外出を不倫と誤解した沢一の追及に、お里は事実を話しました。そこで、沢一は、お里に苦労を懸けるのは自分の為と思い、壺坂寺から谷底に身を投げました。これを知ったお里も沢一の後を追い、身投げしました。この時、観音様の霊験が現れ、2人は生き返り、沢一の目も見えるようになりました。 3年間お参りすると、現世利益が現れるという観音信仰の象徴的なお話です。 天台宗・真言宗・浄土宗では、共通して般若心経を唱和しますが、絶対他力の浄土真宗にはありません。 浄土真宗ではこうした自力による現世利益を否定しているからです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5 | 私は浄土真宗の家に生まれ、親鸞教の弟子を自認しています。 その私が三十三か所を巡礼して得たものがありました。 以下は、西国三十三所札所会の会報より抜粋しました。 西国第32番札所の観音正寺は、1993(平成5)年5月22日、本堂とご本尊の千手千眼観世音菩薩像を焼失しました。私ですら、代々受け継いできた寺宝を焼失してことの残念さを思います。ましてや、住職の衝撃はどれくらいだっとかと想像します。山主の岡村潤應師は「本尊を自分の代で失った。寺の歴史に泥を塗っただけでなく、”西国三十三所観音霊場”という聖域の一角にもきずをつけてしまった。焼け跡に立ってみた。あまりの光景と責任の重さとで「死のう」しかなかった。・・気持ちを取り直すに三カ月を要したが、”ご本尊を白檀で作れ”という不思議な啓示を得て困難を承知で白檀原産国インドへ渡った。交渉に三年を費やした。ついにインド政府の大いなる慈悲で輸出の許可が下りた。奇跡だと泣いた。檀家もない観音正寺。復興に向け必死の托鉢行脚がはじまった。軒先で塩をまかれたこともあった。 一度捨て身になった人間は強かった。”一心称名……”観音さまの慈悲は絶大である証しをとくと見せていただいた」。 2004(平成16)年5月22日、身の丈3.5b・総高6.3b、白檀23トンの十一面千手千眼観世音菩薩の開闢法要の時、インド大使は「我が国がこれだけの白檀の輸出をよく許可したものですねえ」と漏らしました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6 | ここには、自力で得た結果を観音様のお導きという考えがよく表現されています。 そういえば、掛け軸には空白が2カ所あります。それは、三十三か所満願の後、そのお礼詣りに元善光寺と善光寺に行くことで真の満願になるというのです。 インドの月葢長者の娘・如是姫が重病になり、阿弥陀如来にお祈りして救ってもらいました。そこで、長者は、お釈迦さんにお願いして竜宮城からもらった金で一光三尊の阿弥陀如来像を作りました。この如来像は、後に百済から日本に伝えられ、蘇我稲目のお寺に安置されました。仏敵である物部氏は、この如来像を難波の堀江に投げ込みました。 推古天皇10(602)年、本多善光は難波の堀江で一光三尊を見つけて持ち帰り、自宅(長野県飯田市)の臼の上に安置しました。すると、その臼が光を放ったので、人々は坐光寺と呼びました。 その後、この如来像は、本田善光の前に現われ、「信濃に連れて行くように」と命じたので、芋井の里(現在の長野県長野市)に移しました。ここを本多善光の名を取り、善光寺といい、坐光寺を本尊が元いたということで、元善光寺と言うようになりました。 元善光寺には木彫りの本尊が作られ、「毎月半ば十五日間は必ずこの故里に帰りきて衆生を化益せん」というお告げをしました。「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」とは、15日間はどちらかが本尊の留守なので、両方お参りすれば、間違いなく、本尊にお会いできるという意味です。 「牛にひかれて善光寺参り」という諺あります。昔、不信心な老婆が、角に布を引っかけた牛を追いかけているうちに善光寺に着き、信仰に目覚めたという話からきたものです。これも観音様のお導きという説話が含まれています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7 | 三十三か所巡礼は自力です。色々な出会いを観音様のお導きという考えは他力です。 絶対他力というは言い易く、行い難し。「自力+他力=現実的」ということでしょうか。巡礼を終えて得た結論が「現実的」ということでした。これも観音さんのお導きかも知れませんね。 |