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エピソード

100_01

都市の発展と町衆(門前町、寺内町、自治都市堺)
 私が小学生の頃、サラリーマンであると同時に百姓であった父に連れられて、毎年のように「お太子さん」に行ったものです。その時の記憶を辿ると、大きなお寺の周辺に、お百姓が使う鎌や鍬があり、大工さんが使う鋸や鉋があり、板前さんが使う出刃や刺身包丁がありました。梅や柿などの果樹もありました。余りの人の多さに、父の背中を追うのが精一杯でした。
 後に調べて見ると、お寺は、揖保郡太子町にある聖徳太子ゆかりの斑鳩寺のことで、「お太子さん」は年に商売人の1回の市でした。あらゆる商売人が、ここで必要な物を買うのです。人が集まる所にお金が動くということを知りました。
 当時、人がたくさん集まる所といえば、信仰が対象でした。寺社の門や鳥居の前に、参拝客を対象に市が出来ました。これが門前町です。
 一揆的な性格を持った寺院は、農民でもある信者を保護するために、寺院内に信者を永住させます。寺院内で生活する信者もために、職人や商人も集住するようになります。これが寺内町です。
 遠くから参拝する信者や遠隔地の取引をする商人のために、宿泊施設が設けられました。これが宿場町です。
 同じく、海や川を利用して、遠くから参拝する信者や遠隔地の取引をする商人のために、海や川の側に宿泊施設が設けられました。これが港町です。
 戦国大名は、都市が発展すると、現金収入が入ります。そのため、楽市・楽座の制を設けて、自由な商業の発展を保護しました。直接商人を支配するのでなく、商人の自治に任せ、自由な商売をさせて、そこからの利益の一部を得る方法を採ったのです。このようにして成立した町を自治都市をいいます。
 自治都市の代表が堺と博多です。では、36人の会合衆の合議で、市政を運営させていました。博多では、12人の年行司の合議で、市政を運営させていました。
「町の空気は、自由にさせる」日本版
 私が以前勤めたいた所では、パソコンは、指定の業者から備品は購入することになっていました。税金で購入するわけですから、信用が一番です。アフターケアも充実していました。しかし、市価よりも何割も高く、商品も限定されていました。
 私は、私用のパソコンは、自由に選んで、快適な環境でデータ処理をしていました。そして、限定された職場のパソコンに、先にデータ処理情報をコピーして、利用していました。
 退職する頃には、規制緩和が進んだのか、指定の業者も大幅に改善されました。自由な競争原理が働くと、あっという間に、環境が激変するということを実感しました。
 私の教え子の中に、かなり合理的な考えの生徒がいます。結婚式は、仏滅を嫌う人が多く、結婚式場は、その日を割引しています。迷信を守っていては、商売は成り立ちません。やはり、利益がでれば、それが合理的は考えなのです。
 自由な発想から、新しい物が作り出されるのです。
 私は、「安いものは悪い」「高いものはいい」というのが固定観念としてありました。しかし、「安くていい」という発想の人が、最近現れました。徹底した市場管理・合理化によりそれを実現したのです。コマーシャルでも、CMの時間になると、音声が馬鹿でかくなる風潮があります。しかし、その会社のCMは音がありません。TVの故障かなと凝視していると、他社のCMが次にガンガン耳に痛く響いたので、そのCMにとても好感を覚えました。
 自由な発想が、自由な物を作り出すんだと感じました。これが、活性化の原点だとも思いました。

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