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エピソード

102_01

大航海時代(コロンブスと日本)
 1271年、マルコ=ポーロ(17歳)は、ヴェネツアを出発しました。
 1274年、日本では、文永の役が起こっています。
 1275年、マルコ=ポーロは大都(現在の北京)に到着し、フビライ=ハーンの謁見を得ました。
 1292年、マルコ=ポーロ(28歳)は、中国を出発しました。
 1295年、マルコ=ポーロは、ヴェネツアに帰りました。
 1298年 マルコ=ポーロ(34歳)は、ヴェネツィアとジェノバの海戦で捕虜になりました。同じ捕虜のルスティケロは、冒険物語の作者で、マルコ=ポーロの体験に興味をもち、彼の話を書き取りました。これが『東方見聞録』です。そこには、日本のことを「屋根も床も金でふかれている」と記述されています。
 イタリア人のコロンブスも『東方見聞録』を持っていました。
 1453年、イスラム教徒の国オスマン=トルコキリスト教徒の国ビザンティン帝国を滅ぼしました。
 当時、ヨーロッパの貴族人は、肉料理に使う胡椒を金と同価値で購入していました。そのため、冒険家のヨーロッパ人は、陸路でインドへ行き、胡椒を購入し、また陸路でヨーロッパへ帰ってきました。無事帰国できた場合、遊んでいても一生暮らせるだけの大金が入りました。
 ヨーロッパとインドの中継地であるビザンティンが、異教徒のオスマン=トルコに支配されたことで、冒険家ヨーロッパ人は、異教徒に胡椒を差し出すか命を差し出すか、厳しい立場に追い込まれました。
 1474年、フィレンツェの天文・地理学者トスカネリ(78歳)は、『地球球体説』を唱えました。そのには、「大西洋を西航する方がインドへの近道である」と書かれていました。また、西航していけば、マルコ=ポーロが書いている黄金の国ジパング(今のメキシコあたりを想像)を通過して、インドへ行けるともありました。
 1488年、バーソロミュー=ディアスは、『地球球体説』を信じて、喜望峰に到達しました。
 1492年、ジェノヴァの人コロンブス(47歳)は、スペインの女王であるイサベル(42歳)の援助で、大西洋を横断し、西インド諸島に到達しました。
 コロンブスは、ここをインドとして疑わず、原住民をインド人(インディアン)と呼びました。今から10年ほど前の1992年に、コロンブスの映画が2本も作られました。これは新大陸発見500年を記念したものです。
 1499年、アメリゴ=ヴェスプッチは、南米北岸を探検しました。
 1501年、アメリゴ=ヴェスプッチは、南米東岸を探検しました。そして、コロンブスが到達した地を新大陸であると主張しました。その結果、新大陸は、アメリゴの名をとり、アメリカといわれるようになりました。コロンブスの名は、南アメリカのコロンビアとして残っています。コロンブスが新大陸を発見していれば、今頃は北コロンビア、南コロンビアとなってのでしょうか。 
インディアンは日本人とルーツは同じ
 私の高校時代の恥ずかしい体験です。
 ジョン=フォード監督、ジョン=ウェイン主演の映画『駅馬車』(1939年制作の白黒映画です。日本でいえば、昭和14年の作品です。時代を超えた名作なんです。)を見ていた時です。インディアンに襲われる駅馬車。あわや皆殺しかと思った(皆殺しになると、映画もここで終わるので、そうはならないと思いながらも…)瞬間、奇兵隊のラッパが鳴り響きました。突如、観客のあちこちで拍手がおこりました。私も拍手をしていました。ラッパの音に、インディアンはクモの子を散らすように、画面から消えていきました。
 これが、恥ずかしい体験です。どこが恥ずかしいか、お分りでしょうか?
 大学に入って、日本の歴史を世界の歴史という視点で見つめる講座がありました。日本人と同じモンゴロイド系は、アラスカを通り、今の南米アメリカに移動していることがわかりました。駅馬車を襲うインディアンは、実はこのモンゴロイド系だったのです。よく見れば、日本人に似ています。 
 そこへ、ラテン系のコロンブスがやって来て、日本人と同じモンゴロイド系の原住民を「インド人」(インディアン)と呼んだのです。原住民インディアンにとっては、新大陸でもなんでもないのです。白人の歴史観に立てば、新大陸発見ということになるのだということが分かったのです。
 トム=クルーズ主演の映画『はるかなる大地』(1982年制作)をご覧になった方もいると思います。アイルランド出身の貧しい青年ジョーゼフ(トム)は、身分ゆえに恋を許されない地主の娘シャノン(ニコール)とアメリカに駆け落ちしました。
 この映画でトム=クルーズの魅力も感じましたが、一番印象に残ったのは、次のシーンです。地上に突っ立てている旗を手にしたものが、その「大地」を手に入れるという競争です。ついに、貧しい青年ジョーゼフが「はるかな大地」を手に入れました。アメリカン=ドリームです。
 しかし、ここで気がついた方もおられるでしょう。遊牧民である原住民インディアンにとって、土地よりもその上に生える牧草に価値があったので、土地の登記はしていません。
 最初、登記を終えた私有の土地を耕す白人の移住民と、移動性の原住民インディアンとの間ではトラブルが起こりませんでした。しかし、白人の私有地(登記した土地)が増えるに従って、原住民インディアンを移動を制限するようになると、様々なトラブルが発生しました。
 この歴史的な背景を知ると、拍手をした自分が恥ずかしくなったのです。日本人と同じ祖先を持つのがインディアンで、白人に土地を奪われたのがインディアンだったのです。
 知らず知らずに、アメリカナイズされていた自分の心を恥じたのです。終わり。

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