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エピソード

106_01

太閤検地と刀狩(自分の言葉で語る)
 歴史上の人物で、もっとも人気のあるのが、坂本竜馬です。ついでは、織田信長であったり、豊臣秀吉だったりします。私は、竜馬にとても関心があります。しかし、信長や秀吉は、英雄ではあっても、支配者であることに変わりありません。今回は、秀吉が、いかにして、過酷な徴税者であったかを検証したいと思います。
 「太閤検地」とは、太閤前の関白のこと)とは豊臣秀吉のことで、つまり、豊臣秀吉が行った検地のことです。
 別名「天正の石直し」ともいわれます。天正は、秀吉の治世の年号で、石直しとは以前の貫高を石高に改革したことです。貫高とは、土地の生産を銭()で換算することです。石高とは、土地の生産を米()で換算することです。
 徳川家康によって、さらに厳しい徴税が課せられました。これを新検しい地)といいます。それに対して、太閤検地は、古検地)といわれます。
 太閤検地以前にも検地は行われました。織田信長が、近江・伊勢・山城などで実施した検地が有名です。しかし、これは、指出(所領の台帳・明細書)を出させたので、指出検地といい、検地の基準や方法もバラバラでした。
 太閤検地が歴史的な意味を持つのは、以下の点にあります。
(1)日本全国で、一斉に、しかも「日本国中寸土尺地も残さず」という方針で行われました。
(2)帳簿の形状・記載形式を統一して行われました。
(3)荘園領主の土地であれ、どの大名の領地であれ、国・郡・里・村という伝統的行政区画に基づく土地の基本台帳を作成しました。
(4)基本台帳(検地帳)に明記された石高が、庶民への課税や大名への軍役の基準とされました。
 統一された内容を見てみましょう。
(1)1町=10反=100畝=3000歩に統一されました。
(2)1歩=6尺3寸(191cm)四方で、畳2枚分ですので、1坪ともいいます。
(3)1升=10合で、縦×横4寸9分、深さ2寸7分、64,827立方分の容積を持つ升を公定升として、京 枡の使用が強制されました。
(4)1石=10斗、1俵=4斗(60kg)ですから、1石=2俵2斗になります。
(5)上田=1石5斗、中田=1石3斗、下田=1石1斗、下下田=9斗で、各々2斗下がりになっています。
このように、反当りの平均収穫率を石盛(斗代)といいます。
(6)石高=面積×石盛で計算されます。上田を1000町持っておれば、その大名は「石高1万5000石の大名」と呼ばれますす。
 土地の基本台帳といわれる検地帳とは何か、また、何が記入されていたのでしょうか。
(1)検地帳は、村ごと作成されました。
(2)一地一作人といって、1つの土地に1人の百姓の名を記入し、その百姓が、その土地を所有・耕作するようにしました。
(3)検地帳に記載された百姓のみが、租税や労役を負担しました。
 太閤検地の結果、どうなったのでしょうか。
(1)幾層にも分かれていた土地の所有者が1人に固定された結果、荘園制が完全に崩壊しました。
(2)検地帳に記載されたものを百姓と規定した結果、兵農分離が進み、身分が固定化されました。
歴史の英雄と、税金の徴収者の顔と
 どれほど徹底して、太閤検地は行われたのでしょうか。
 ここに、秀吉が、浅野長政に宛てた手紙が残っています。それには、相手が検地を承知しない時、大名の場合は、「一人も残置かずなでぎりニ申し付くべく候。百姓以下にいたるまで相届かざるニ付ては、一郷も二郷も悉くなでぎり仕るべく候。たとへ亡所ニ成り候ても苦しからず候」とあります。
 この史料には、私たちが知る猿面の秀吉、知恵者、百姓から太閤にのし上がった英雄とは全く違う、税の徴収者秀吉の姿が描かれています
 大化の改新以来、1反は360歩(畳にして720枚分)と決まっていました。ところが、秀吉は、百姓が文字を知らないことを利用して、1反という呼び方を変えず、内容を変えました。つまり、1反は300歩(畳にして600枚分)に大変更したのです。
 畳にして120枚分少なくして、同じ税金を徴収したのです。直接、百姓を殺さず、合法的に百姓を殺してのです。
 徳川家康の場合、その経営哲学は、私も含め、多くの人が驚嘆します。しかし、家康も同じく、税の徴収者という顔も持っています。
 家康が採用したのは、1歩=6尺3寸(191cm)四方を、1歩=6尺(182cm)四方に変更したのです。畳にして81平方cm短くして、1坪としたのです。現在の畳の寸法です。
 ある知人が、家を新築しました。お祝いに行ったのですが、通された6畳間の客間が、私の家の6畳間に比べて、どうも小さいのです。知人の大工さんに聞くと、「それは本間でなく、京(狭)間でしょう」と教えてくれました。契約する時は、本間か狭間か確認しないと、こういう失敗もあるとのことでした。
 最近、マンションに入った知人を訪問しました。狭間より狭い6畳間でした。先ほどの大工さんに聞くと、「それは団地間サイズでしょう」ということでした。
 庶民の無知を利用して、1坪○○万円という形で商売する人が増えています。本間サイズか否かの確認をすることを学びました。
 一連の太閤検地・刀狩令・身分統制令・人掃令により、身分制度が固定化されました。
 永遠に続くと思われたベルリンの壁が崩れました。その時、私は、人間が作ったものは、必ず作り直せるということを確信しました。

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