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エピソード

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桃山文化(姫路城、濃絵、南蛮文化)
 桃山文化を、語源的に見ると、秀吉が伏見城を築城して、周囲に一杯桃の木を植えたので、人々は伏見城を桃山城ともいいました。つまり、秀吉の伏見城時代を中心に、花開いた文化と規定できます。
 桃山文化の背景として考えられることは、3つあります。
 まず、戦国大名が成り上がって1国1城の主になった、全国を統一したことを背景に、成金趣味的な豪華で、派手な物が好まれるようになました。
 次に、新興の豪商が、競って外国貿易に乗り出したことを背景に、新鮮で、合理的・現実的な考えが広まりました。
 さらに、南蛮人(日本人はスペイン人やポルトガル人をの野蛮人と呼んだ)が渡来したことを背景にして、南蛮文化が伝えられました。
 派手で豪華な代表が、城郭建築です。城は、軍事的・政治的・経済的な象徴です。その代表が、日本での世界遺産第一号に登録された姫路城があります。私の住んでいる相生市からは、電車で20分、歩いて10分のところにあります。ドナルド=キーン氏は、姫路で、「姫路城が世界遺産に登録された、一番びっくりしているのは地元の人ではないですか」と講演されました。木造建築では、世界最高です。今の技術に応用すると、数十階建てのビルを建てたことになるということでした。
 姫路城以外の代表的な城郭建築は以下の通りです。
 安土城伏見城大坂城二条城松本城彦根城犬山城松江城などです。
 遺構としては、伏見城の遺構は都久夫須麻神社本殿・唐門といわれています。また、聚楽第の遺構としては西本願寺飛雲閣・大徳寺唐門といわれています。
 豪華な城にマッチするには、それなりの派手さが必要になります。障壁画です。金箔を張りめぐらせた障壁(襖や子や)上に描くには、濃絵(金碧彩の)しかありません。その代表が狩野派と言われる絵師のグループで、狩野元信の『唐獅子図屏風』、狩野山楽の『牡丹図』などがあります。
 その他の障壁画としては、『松鷹図』(狩野山楽)、『智積院襖絵』『松林図屏風』(長谷川等伯)、『山水図風』(海北友松)があります。
 次に新鮮で、合理的・現実的な考えの代表は、鉄砲です。鉄砲により、戦争の形態は根本的な変わりました。
 次に、地球儀や地図です。日本の位置を世界的に把握し、貿易に役立ちました。反面、領土欲をかきたてる道具にもなりました。
 宗教に対する考えもあります。人の心を扱う寺院が、権力や武力をもって、俗世間と戦うということに、織田信長は、徹底的な弾圧で望みました。全山に放火し、根本中堂や東塔などを焼き払い、僧俗3000人を斬殺しました。「蟻一匹殺しても地獄へ行く」とされた時代です。信長は、何回地獄に行くのでしょうか。合理的な考えがなければ、このような行為は出来るものではありません。
 南蛮人(スペイン人・ポルトがツ人)が伝えた文化には、ルイス=フロイスは、「多くの諸侯がカッパ・シャツ・カルサン(ズボン)・シャポウを身につけている。太閤自ら鶏卵や牛肉を賞味し、ポルトガル風の服を好む」と、今も、日本に残っている物を報告しています。
 南蛮屏風という形でヨーロッパの技法である油絵・版画が、伝えられました。
 キリシタン版として『平家物語』や『伊曽保物語』(イソップ物語)が、活字印刷されました。
文化とは、文化の交流とは
 以前、搾取の代表作とされてきた姫路城など全国の城郭建築が、世界遺産に登録されました。
 私が姫路の学校に勤めている時、中国系の高校生は、自国の歴史や文化を誇りを持って説明します。それに対して、日本の高校生は、「日本に誇るものは何もない」とか「アメリカの○○はすごいけどなー」とか言って、ほとんど議論になりませんでした。
 私は、そういう時、ベルツの日記の「『いや、何もかもすっかり野蛮ものでした』…固有の文化を…軽視すれば、かえって外人たちのあいだで信望を博することにはなりません」(1876年10月25日)を引用して、「日本の歴史・日本の文化があるからこそ、今の日本があり、今の私たちがおり、今の私が存在するんだよ」と説明することにしています。
 また、今の自分を形成しているのは、誰でもなく、自分自身だとも話しています。迷ったりした時、誰かに相談しても、最後には自分で決断しています。親や先生から怒られても、その場の対応は、自分で決定しています。それを他人の責任にすることは、「楽」です。いくら逃げても、現実は追いかけてきます。
 自分を反省することなしに、成長や発展はありません。泥田に足を突っ込んで戦うか、逃げるかを選択してきたのも、よく考えて見ると、やはり自分自身なのです。自分の歴史は、自分の文化なのです。
 今の自分は、まぎれもなく、あなた自身が作ってきたのです。これからの歴史も、あなた自身が作っていくのです。そういう意味で、自分の歴史を大切にして欲しいと思います。
 自分を大切にすると、初めて、隣にいる人も、その人自身を大切にしているんだと理解できます。
 今、若者が、次々と、殺人に走っています。多分、自分を愛せない人なのでしょう。一歩立ち止まって、自分を発見して欲しいし、私達もその場を提供する必要があります。
 難しい文化論は、専門家に任せて、現実的には、自国の文化(自分)に誇りを持って、他国の文化(他人)と交流し、お互いを見詰め合う余裕を持ちたいものです。

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