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エピソード

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江戸幕府の職制(老中・若年寄・寺社奉行・京都所司代)
 将軍の下に大老・老中・側用人・若年寄・寺社奉行・京都所司代・大坂城代が置かれました。
 大老は、非常時に設置され、中の位とされ、10万石以上の譜代大名から任命されました。江戸幕府を通じて13名が任命されています。
 老中は、もと年寄といい、常置の最高職で、2万5000石以上の譜代大名から任命されています。1ヶ月交替の月番制で、大番頭・大目付・町奉行・勘定奉行・城代・遠国奉行を支配します。
 側用人は、常時将軍の近にあって、将軍の命令を老中に取次ぐをするです。譜代大名から任命されます。
 若年寄は、年寄(老中)という意味で、譜代大名から任命され、老中の補佐をします。老中が大名に目を付ける(大目付)のに対し、若年寄は、旗本・御家人に目を付けます(目付)。1ヶ月交替の月番制で、書院番・小姓組番頭・目付を支配します。
 寺社奉行は、1ヶ月交替の月番制で、寺社を支配する奉行で、譜代大名から任命されます。自宅が奉行所になります。三奉行といっても、旗本から任命される町奉行・勘定奉行より、格式が上になります。
 京都所司代は、京都の二条城にあって、老中に次ぐ要職で、譜代大名から任命され、朝廷や西国大名の監視をします。所司とは、鎌倉幕府の「侍所」の次官、室町幕府の「侍所」の長官を意味し、江戸時代は、将軍が「侍所」の長官ですから、京都所司代は将軍の理ということになります。
 大坂城代は、大坂城にあって、大坂在勤幕府諸役人を統率し、緊急事態の時は将軍にわって軍事指揮権を持っています。10万石の譜代大名が任命され、ここを起点にして京都所司代をへて老中に昇進するのを通例としています。
 老中に支配される職制の説明をします。
 大番頭は、重要な方(軍事部門)の領で、旗本より任命され、江戸城・江戸市中の警固をします。
 大目付は、名にける(監視)し、旗本から任命されます。初代が柳生宗矩です。
 町奉行は、南町奉行・北町奉行が、1ヶ月交替の月番制で、江戸の町を行政・司法・警察を掌り、旗本から任命されます。
 勘定奉行は、幕府領(天領)の租税を勘定する奉行で、旗本より任命され、郡代・代官を支配します。
 城代は、将軍が頻繁に使用する(駿府・伏見・二条)を、将軍にわり守護します。旗本より任命されます。
 遠国奉行は、の重要な幕府直轄地に置かれた奉行です。旗本より任命されました。京都・大阪・駿府は町奉行といい、長崎・佐渡・山田・日光・奈良・堺・下田を諸奉行といいます。
 若年寄より支配される職制の説明をします。
 書院番頭は、江戸城を警護したり、将軍が出行したり、将軍が市中を巡回した時にそのお供をします。旗本より任命されます。
 小姓組番頭は、将軍の側にいて雑用を勤める役で、中奥に伺候する者は表小姓組に属し、将軍の身辺の雑務に従う者は奥小姓組に属していました。旗本より任命されます。
 目付は、大目付が大名に目を付けるのに対して、旗本・御家人にけます(監視)。旗本より任命されます。1ヶ月交替の月番制です。
町奉行と与力と同心
 TVや映画によく、北町奉行所とか南町奉行所という看板が出てきます。
 また桜吹雪の諸肌抜いてタンカを切る遠山金さんや、長裃を縁側に投げ出して、下手人に見得を切る大岡越前守も忘れられません。
 また、藤田まことさん演ずる『必殺仕置人』の中村主水も有名です。中村主水は同心です。
 私の好きな番組の1つが、『八丁堀の7人』です。村上弘明さん扮する青山久蔵は与力で、片岡鶴太郎さん扮する仏田八兵衛は同心という役です。
 すべてフィクションですが、江戸時代の町奉行の職制を理解していると、このようなTVや映画はもっと楽しくなります。
 町奉行所の仕事は、武家地・寺社地以外の江戸市中の行政・司法・警察・消防などを掌ります。奉行所には、北町奉行所・南町奉行所の2つがあり、1ヶ月交替の月番制を採用しています。
 奉行所の長官が町奉行で、有名な人に大岡越前守忠相や遠山金四郎景元がいます。当然、彼らは旗本です。
 収入は、江戸初期に1000俵、中期に3000石、末期に2500両になっています。
 TVや映画では、町人を試し切りする武士に手を出せないシーンがよく出てきます。これは、上に見たように、町奉行の管轄外だからです。
 遠山の金さんが、町人になって悪の巣に乗り込み、証拠を握るシーンがあります。これは、月番でない非番の時を利用していたのです。そして、月番になった時に、お白州で手人をやっつけるのです。
 南北町奉行の下には、町与力が各25騎の計50騎いました。町奉行所の中心になる存在で、4〜5人の同心を指揮し、捜査活動に当っていました。御家人が任命されました。
 町与力は、江戸の八丁堀に組屋敷がありました。
 収入は、200石でした。原則として、抱席(一代限り)ですが、現実は世襲でした。
 八丁堀の7人という名称は、江戸の八丁堀に組屋敷があったからです。与力の配下が大体4〜5人といいますから、この与力配下が大所帯だったことがわかります。
 村上弘明さん扮する与力青山久蔵が、馬に乗り、下手人を捕まえに行くシーンがあります。与力は50騎と表現される様に馬に乗れるのです。
 村上さんの与力と片岡鶴太郎さんの同心仏田八兵衛は、よく喧嘩したり、よく酒を飲むシーンがあります。与力と同心は一体という組織だったのです。
 町与力の配下が町方同心です。2〜3人の岡っ引・下っ引を指揮し、捜査活動に当っていました。与力と同じく八丁堀に組屋敷を与えられていました。与力の配下の同心の定員は、与力1人に同心4〜5人ですから、各奉行所に与力25騎×5人として、125人となります。南北合わせて250人で、江戸の治安を維持していたことになります。
 収入は、30俵2人扶持です。原則として、抱席(一代限り)ですが、現実は世襲でした。
 同心株の中村家の婿養子である藤田まことさんの妻と姑が与力の家にあれこれと気を配りシーンがあります。
 片岡鶴太郎さん扮する同心に色々な情報を伝える人がいます。彼らを岡っ引・下っ引といいます。銭形平次もその1人です。
 『必殺仕事人』『八丁堀の7人』『遠山の金さん』が人気があるのは、権力や権威をかさにきて、庶民を苦しめる者を、ある時は闇の仕事人が、ある場合は死を覚悟で対決するシーンが、見る人をスカッとさせるのでしょう。
 「悪い奴ほどよく眠る」現実にあって、勧善懲悪を貫く精神が今も、支持されるのは、本当は悲しいというべきなのでしょうね。

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