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エピソード

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農民の統制(村請制度・村方三役・五人組制度)
 農民は税金を負担するので、徹底して、幕府の統制下にありました。
 国民をバカであると嘲ったヒトラーが、国民の支持で、ドイツの指導者に登りつめました。日本でも、「○○ちゃん」ブームに乗せられ、総選挙では、「○○ちゃん」のTシャツを着込んで応援したご婦人の夫が未曾有のリストラにあって自殺しています。歴史の皮肉です。
 江戸時代でも同じことがありました。百姓を「農は国の本なり」と持ち上げ、その裏では、将軍徳川家康は「郷村の百姓は死なぬように、生きぬように…収納申しつける」といい、将軍秀忠の忠実な家臣である本多正信は「百姓は財の余らぬように不足なきように治むること道なり」と言っています。
 表現はどうであれ、幕府や諸藩の経済的基盤は、農民の年貢と夫役に依存していました。
 年貢は、村の責任で納入させる村請制度を採用しました。
 年貢の種類は、本年貢には本途物成(田畑などに課税)があり、作柄を調べて税率を決定する検見法が採用されていました。その他に、小物成(山林河海や副業などの収益に課せられる雑税。現物か銭納で支払い)、国役(一単位で課される治水工事費用。日光の法会・朝鮮使接待)、高掛物(村に応じてかる。宿駅整備)、助郷役(街道周辺のが宿駅に不足の人馬を援にだす夫)などがありました。
 こうした税金を収奪するため、幕府は、様々な制度を設けました。
 一応、農民自治を装うため、村方三役地方三役)を設けました。村の長は、名主庄屋肝煎)といい、年貢の納入・由水管理などの任務を与えました。名主の補佐は、組頭年寄長百姓)といい、宗門改などの任務を与えました。村人の代表として、勝ち取ったのが百姓代で、名主・組頭の不正を監視しました。百姓代は、どの村にも置かれたものではありません。
 税の対象は、本百姓高持百姓)です。彼らは、10町以上の土地と10石以上の収穫高が条件で、検地帳に記載され、五人組のメンバーです。百姓には、本百姓の下で働く水呑百姓無高百姓)や本百姓に隷属する名子被官などもいました。
 年貢の完納を図るために五人組制度という連帯責任制が採用されました。昭和時代の戦前には、隣組として復活しました。
 また、村民を同一化するために、出る杭を打つ村八分という制度を設けました。
 また、法によって生活を統制し、税金を収奪しました。
 1643(寛永20)年、田畑永代売買の禁令が出されました。これは豪農に土地が集中することで、本百姓の解体を防止する目的がありました。
 同年、田畑勝手作の禁止が出されました。内容は、本田畑に五穀(米・麦・黍・粟・豆)以外の作物を植えることを禁止するもので、貨幣経済に巻き込まれることによる本百姓の解体を防止する目的がありました。
 1649(慶安2)年、慶安御触書が出されました。
 本百姓に対しては、「地頭・代官を大切に考え、名主・組頭を親と思いなさい」と言ったり、名主・組頭には、「地頭・代官を大切に考え、年貢を完済し、百姓をよく管理しなさい」と言っています。
 そして、最後に、「年貢さえ済ませば、百姓ほど楽なものはない」と、「ホント、よく言うよ」と言えるぐらいに本音を吐露しています。
「一、公儀御法度を恐れ、地頭・代官の事、おろそかに存ぜず、さて又名主・組頭をハ真の親とおもふべ   き事。
一、名主・組頭を仕る者、地頭代官の事を大切に存じ、年貢を能済し、公儀御法度を背かず、小百姓身   持を能仕るる様に申し渡すべし。
 年貢さへすまし候得は、百姓程心易きものはこれ無し。」
 1673(延宝元)年、分地制限令を出しました。土地の分割により、本百姓の条件(10町以上の土地と10石以上の収穫高)が維持できなくなりました。そうなると、税金の徴収がままならぬことになります。そこで出されたのが。この法律です。内容は、10町以上の土地と10石以上の収穫高以下の百姓が土地を分割することを禁止するものです。
美しい言葉には裏がある
 「白衣の天使」とか「聖職」という美しい言葉があります。
 私の教え子も、たくさん看護婦(看護士)さんになりました。高校時代から、看護を目指す生徒は、本当に優しい、職業観に燃えていました。しかし、現実は、たくさんの宿直があったり、上下関係が厳しかったりで、免許はあるが、自宅で主婦をしている人がかなりいます。
 バブル時代、看護婦(看護士)不足となりました。あまり高校に足を運ばない大病院の事務長も、顔を見せるようになりました。私が「もっと待遇改善が必要ではないですか」と彼女(彼)らの代弁をすると、事務長は「いや、不景気になると、また戻ってきますよ」と簡単に切って捨てられました。
 実際、不況の今、看護士志望は非常に高くなっています。
 私も在職中は、部活指導に、進路指導にと、1年中明け暮れていた時がありました。
 サラリーマンの友人・知人は、「日曜出勤は1日なんぼや?」と聞きます。私が「昔はタダで、今は500円ぐらいかな」「練習試合になると、持ち出すほうが多い」と答えても納得しません。友人・知人は、最後には「先生は聖職者やからな」で、その話は終わります。
 余りお金とか、条件闘争なんていうことは、言えないのです。
 私が在職中の話です。企業の方が来られて、クーラーのない部屋での応対をしている時、「これでは能率が上がらないでしょう」と言われたことがあります。聖職者という言葉は、現実では、空しい響きです。
 高校時代、水呑百姓を、米が食べられなくて、水を飲むしかなかった百姓と教わりました。しかし、正式には、本百姓程の高の無い百姓(無高百姓)ということが分かりました。
 「たわけ」は「まぬけ」とか「バカ」という意味に使います。この語源が、分地制限令からきていると、教わりました。これは、字の読めない百姓に、庄屋が「田を分けすぎると、生活できず、バカをみる」と説明しているうちに、「田分けはバカ」となり、「田分け=バカ」となっていきました。これは、本当の話です。
4  以前、痛ましい交通事故がありました。目撃した人の話では、女子大に通学するため家を出た娘と、それを見送る母親を目がけて車が暴走してきました。母親の目の前で、元気に手を振っていた娘が亡くなったというのです。
 交通事故の加害者は、無職の20代の若者だったそうです。その母親が、「五人組制度があったなら」と言ったそうです。色々な問題が起こる度に、TVのコメンテーターなどは「親がちゃんと躾しなさい」と言います。親がちゃんと子供をコントロールできるぐらいなら、問題を起こすことはありません。コントロール出来ないから、問題を起こすのです。
 共同体が崩壊した今、言葉でなく、共生できる道を構築する必要があります。まず、隣保が仲良く…。

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