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エピソード

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武断政治と慶安の変(由井正雪の乱)・承応の変
武断政治
 武断政治とは、武力によって専制的に行う政治と定義できます。現実的には、改易(領地没収)と減封という形で表現されます。
 反対の用語に、武力を用いず、学問や法制の力によって人民を徳化し、世を治める文治主義政治があります。江戸時代は、儒教的徳治主義で治める政治文治政治といいます。
 一般に、徳川家康から三代将軍の家康までを武断政治といい、四代将軍家綱の時代からを文治政治といいます。この転換の契機となったのが、慶安の変由井正雪の乱)と承応の変です。
原因別改易大名数と没収高(家康〜家光時代)
軍事的理由 関ヶ原の戦い 改易 88家 416万石
減封 5家 216万石
大坂の役 改易 2家 67万石
末期養子の禁など 改易 63家 413万石
武家諸法度違反など 改易 61家 594万石
改易外様 改易親藩・譜代 没収石高
家康 13家 28家 360万石
秀忠 15家 23家 360万石
家光 19家 28家 360万石
家綱 13家 16家 75万石
綱吉 28家 17家 175万石
 江戸幕府初期(1603〜1650年頃)に、生じた牢人の総数は、約40〜50万人といわれています。浪人は、主家を離れ禄を失い、あちこち、さすらい歩く々の(武士)をいいます。籠(落ちぶれて困っている)という意味で、牢人ともいいます。
 この膨大な数にのぼる牢人の不満を利用して起きた事件が、慶安の変と承応の変です。
慶安の変(由井正雪の乱)
 由井正雪は、江戸で、楠流軍学を講義していました。非常に説得力がある講義だったので、たくさんの浪人を弟子にしました。幕府は、由井正雪を召抱えようとしましたが、拒否されました。それが余計に人気を集めたといいます。
 由井正雪は、丸橋忠弥金井半兵衛らとともに、幕府の浪人を発生させる政治を止めさせることを口実にしていました。それによると、由井正雪は、駿府城から武器を奪い、久能山の霊廟にある徳川家康の遺産200万両を奪い取る予定でした。また、丸橋忠弥らは江戸小石川の幕府火薬庫を爆破して江戸城を占拠し、次の将軍に予定されている徳川家綱を人質として、自分たちの要求を主張することになっていました。また、金井半兵衛らは大坂で一揆を起こすことになっていました。 
 1651(慶安4)年4月20日、三代将軍徳川家光(48歳)が、亡くなりました。この時、堀田正盛阿部重次ら13人が殉死しました。由井正雪らは、計画を実行に移しました。
 7月22日、由井正雪は、江戸を出て駿府に向かいました。
 7月23日、由井正雪の一味に加わっていた奥村八左衛門が、松平信綱に謀叛を密告しました。その結果、丸橋忠弥が江戸で捕まりました。
 7月26日、由井正雪は、駿府茶町の旅籠梅屋で包囲され、自害しました。共犯者として2000人以上が逮捕されました。
 8月3日、金井半兵衛が、由井正雪の死を知り、大坂の天王寺で自害しました。
 8月10日、丸橋忠弥は、鈴ヶ森で処刑されました。これを年号をとって慶安の変といいます。また、人名をとって由井正雪の乱ともいいます。
 8月18日、徳川家綱(11歳)が四代将軍となりました。
承応の変
 1652(慶応5)年9月13日、牢人の戸次庄左衛門別木庄左衛門)が、同志数人とともに徳川秀忠夫人の27回忌が増上寺で営まれるのを利用し、放火して企品を奪い、老中を討ちとろうと計画しました。
 9月18日、承応元年と改元されました。事件は、慶応5年におきましたが、決着がついたのが、改元後の承応元年だったので、承応の変といいます。
 この計画も、仲間の1人が松平信綱に密告したため、戸次庄左衛門らが捕えられました。
 老中阿部忠秋の家臣である山本兵部が戸次庄左衛門と交際があったということで、同僚である老中の松平信綱は、阿部忠秋に切腹を命じました。
平和の時代、牢人受難。知恵伊豆の知恵
 水戸黄門こと徳川光圀の水戸家には、毎日のように、就職を依頼する失業者がやって来ます。その対応に困った水戸家は、採用の条件を決定しました。「医師・右筆・足軽に限る」としています。
 ある時豪傑が来ました。採用の条件を示して、僅かの金品を与えて、追い返しました。しばらくして、凄いうめき声がするので、就職担当者が玄関先を飛んで行くと、その豪傑が腹を十文字に切って自害していました。
 金品をもらいに来たのではないという抗議の自害でした。
 その話を聞いた光圀は、「そこまでの覚悟なら召抱えたものを…。時代が悪い」と日記に書いています。
 知恵伊豆とは松平伊豆守信綱のことです。信綱は、由井正雪を高額で召抱えようと申し出ましたが、正雪はこれを拒否しました。そこで、信綱は、有力な家臣を正雪の元にスパイとして送り込みました。
 スパイは、みるみる頭角をあらわし、正雪のブレーンとなりました。正雪は、信綱のスパイに幕府打倒の陰謀を打ち明けました。
 この頭脳戦争は、信綱が勝利したことを意味します。正雪が、信綱を上回る人物なら、逆に信綱が送り込んだスパイを利用したことでしょう。それに、気づかず、ブレーンにし、秘密を打ち明けたということは、信綱の方が役者がはるかに上だったといえます。

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