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エピソード

128_01

江戸・大坂・京都の三都
 三都とは、江戸・京都・大坂の総称です。
 江戸は、日本最大の城下町です。
 1721(享保6)年、町屋人口50万人+武家人口50万人=計100万人で、当時から世界最大の都市でした。1801年、ロンドンの人口は86万人でした。 
 大坂は、商業経済の中心で、天下の台所と言われていました。天下の台所と言われる所以は、諸藩・旗本などの年貢米・国産物販売所である蔵屋敷が存在していたからです。紀州藩、佐賀藩、加賀藩、岡山藩、松江藩、福岡藩、広島藩、福山藩、長州藩、徳島藩、熊本藩、h摩藩、それに赤穂藩や龍野藩などの蔵屋敷もありました。
 18世紀初、人口は35万人でした。
 京都は、帝都といわれ、上方の中心です。宗教都市でもありました。
 17世紀、人口は40万人でした。
17世紀中頃の世界の人口
パリ 55万人 江戸 35万人
ロンドン 47万人 京都 35万人
アムステ
ルダム
29万人 大坂 33万人
三都の人口(但し江戸は、町方人口のみ)
  1650年 1700年 1750年 1800年 1850年
江戸 20万人 35万人 52万人 50万人 60万人
京都 28万人 35万人 50万人 39万人 35万人
大坂 37万人 33万人 50万人 41万人 27万人
江戸の今昔
 水戸藩下屋敷は、現在後楽園になっています。井伊家下屋敷は、現在の明治神宮です。前田家上屋敷は、現在の東京大学本郷キャンパスです。柳沢吉保邸は、現在の六義園です。
 甲州道中の最初の宿駅が高井戸駅でした。日本橋から離れていたので、新しい宿駅を設けました。これが新宿です。新宿は内藤家の敷地内にあったので、内藤新宿と言われました。内藤家下屋敷は、現在の新宿御苑です。
 比叡山に対抗して、江戸の鬼門の位置に寛永寺を建立しました。寛永寺のことを東叡山というのは、その理由からです。 
 忠臣蔵でも有名な両国橋は、武蔵国と下総国の国境を流れる隅田川に架けられた橋なので、この名があります。
 地名も、歴史的いわれがあるので、大切にしたい理由は、こんな所にあるのです。

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