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エピソード

129_01

商品流通網の形成(蔵屋敷・株仲間・菱垣廻船)
 高校時代、十組問屋とか二十四組問屋とか、難しいことを覚えさせられました。
 なんとか、系統的に、簡単に覚えさせられないか、在職中、常に考えていたのが、この江戸時代の流通機構の模式図でした。
 私は、難しい問題の時は、自分がその立場になるという方法で、乗り切ってきました。今回も、この方法を披露します。
 私は、米です。農村で作られた私(米)は、年貢として大名に納められます。大名は、消費する友(米)を残して、私(米)は、大坂の蔵屋敷に運ばれます。私(米)は、蔵物といわれます。
 大坂の蔵屋敷の商人の蔵元掛屋は、株仲間である二十四組問屋に所属していて、江戸の米価を見極め、私(米)を南海路を運行している菱垣廻船樽廻船に運び込みます。 
 江戸に運ばれた私(米)は、株仲間である十組問屋に運ばれます。そして、仲買・小売を通して、庶民の口に入ります。
 地元大坂に残った私の友(米)は、仲買・小売を通して、庶民の口に入ります。
 次のルートを紹介します。
 私(米)は、年貢として幕府に納められます。幕府は、旗本・御家人に給料として、私(米)たちが支払われます。私の友(米)は、御飯となって食べられなした。私(米)は、浅草御蔵の商人の札差に売られました。旗本・御家人は、得た現金で、おかずやお酒、服や薬を買います。
 売られた私(米)は、株仲間である十組問屋を通じて、仲買・小売に売られ、庶民の口に入ります。
 別なルートもあります。
 年貢としてでなく、私(米)は、直接、地元の問屋に売られました。私(米)は、地元の問屋から大坂の蔵屋敷に運ばれます。同じ私(米)なのに、ここでは納屋物といわれます。以下は同じルートで売られます。
大坂の繁栄
 1714(正徳4)年、大坂に集まった商品は、119種類477万6000両に達しています。
 大坂から江戸に送った商品は、91種類159万6000両になっています。
 二十四組問屋は、大坂でつくられた商品別の荷積問屋の株仲間です。
 大坂では、米市が堂島で開かれました。その他、雑喉場で魚市が、天満で青物市が開かれました。今からは、想像も出来ませんね。
 十組問屋は、江戸でつくられた商品別の荷受問屋の株仲間です。
 杉本茂十郎店、塗物店組、綿店組などがあります。
 日本橋で魚市場が、神田で青物市が開かれました。今からは、想像も出来ませんね。
 大相撲で有名な蔵前国技館は、浅草御蔵の前にあったので、その名があります。

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