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エピソード

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江戸時代の庶民の生活
 江戸幕府の基本方針は、本百姓から税をとるということです。そのため、本百姓への規制は厳しく、町人への規制は緩やかなものでした。
 五人組に記載された都市の住民が町人で、農村の住民が本百姓です。
 町人の衣服に関しては、材料は絹や紬が使われ、男子は羽織・袴・長裃など、武士と違いません。女子の着物としては、口がさい小袖や、小の袂を長くして歩くたびに優雅に振れる着物(振袖)が流行しました。
 町人の住居に関しては、火災予防のためと称して瓦葺・土蔵造りになっています。また間口の広さに税金が課せられるので、間口は狭くして奥行きの長い、いわゆる鰻の寝床型の二階家が多く建てられました。
 町人の食事に関しては、主食はが中心で、それ以外にそば屋煮売り屋利用していました。タバコおやつにお菓子までありました。
 娯楽も、かなり自由で、当時流行の人形浄瑠璃歌舞伎見物を楽しんでいます。
 農民の衣服に関しては、木綿に限定され、労働に適した無地の筒袖・股引が使用されました。
 農民の住居に関しては、もっと悲惨で、掘っ立て柱に、土間を強制されました。床は不経済とされ、土間の上にムシロやワラを敷いて寝ました。汗で軟らかくなったムシロやワラは、田んぼの肥料に使われたということです。
 農民の食事に関しては、厳しく規制され、麦や粟が主食でした。小鳥の餌です。副食や間食も禁止されていました。
 娯楽も、年中行事以外は禁止されました。
 一部の学者は評論家は、江戸時代はそれほど不幸ではなかったと言います。彼らは、今述べた事実を無視して、議論しています。何の目的で、そんな暴論を吐くのか、その理由が分かりません。
 別な所でも書きましたが、ヒゲの漫画家もゴーマンな漫画家も、自分が現在の自由業という立場を理解せず、江戸時代を賛美しています。
庶民の楽しみ
 私が最初に勤めた地域の話です。夏休みになると、浴衣に着替えた女子高生が、盆踊りに誘いに来ます。7月末から8月末まで、40日の間の毎土曜日の晩に盆踊りがあるのです。
 その理由を聞くと、出稼ぎに行っている人の盆供養と慰労を兼ねているとのことでした。
 初盆の家に行ったことがあります。亡くなった人の最初の盆です。近所の人が集まり、亡くなった人の好物を仏壇に供えます。これを中間と呼びます。その後、初盆の人の家の庭で、手踊りをするのです。初盆が終わると、竹笹を川に流します。再び川から天に帰ることを祈るのです。浄土という観念はここではありません。
 民間では、神や仏が自然に融合しているのです。これを神仏習合といいます。
 厳しい収奪にあいながらも、庶民は必死に、逞しく、生きているのです。
 最近、世界一の富豪という人が逮捕・起訴されました。新聞によると、節税対策をして税金を払ってなかったそうです。豪邸を会社の社宅扱いしていたのだそうです。
 TVのコメンテーターなる者は、事件が起こると、口をそろえて非難する。誰でも出来ることです。むしろ事件が起こる前に、非難すべきことがあれば、それを指摘するのがコメンテーターではありませんか。

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